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合気の章⑤

前回の続き。

会長に呼ばれて、自分の前に立ったのは、その日の稽古が初めてという女性だった。そこでもう一度、同じ技を指導されたのだ。ただし、今度は会長がその方に介添えをして…。
すると、あっけなく崩された。それも一度だけでなく、二度も三度も。
次に会長はこう言った。
「今度は相手の両手をつかんでください」
そう言われて、彼女の両手首を痛くない程度に軽く握った。
そこで会長がその女性に、あることをイメージしながら、手を自分の頬に持ってくるようにと指示したのである。すると、今度も同じように崩された!技をかけられた自分も驚いたけど、かけた女性もあっけにとられていた。嘘、信じられない…という感じで。

そんな自分たちに会長は「もう一度やってください、できますから」と言う。
ならばと、今度は力を入れて握った。自分は細いけれど、人並み以上の膂力はある。「これなら、絶対に崩されまい」と、がっしりとつかんだ。

ところが今回も同様に崩されてしまう。耐えるというか、そんな状態になれない。踏ん張ろうが何しようが、ものの見事に崩されて倒される。ここに至って、初めて氣空術の技を信じざるをえなくなった。演武的な技もなんでもない。間違いなく、かかる技というものがここにあると。

そんな自分の心を見透かしたかのように会長が言った。
「最初は半信半疑だったでしょう。でも、これで本当だということが少しは分かってくれましたか?力じゃないんです。力は入れずに出す。それと、『何とかしてやろう』という気持ちを捨てる。それで氣空術の技はできる」
さらにこうも言われた。
「あなたは長年、打撃をやってきたから、反応が速い。だから、かかりやすいんですよ」と。

速く反応できるからこそ、対処できるのが技であり、防御だと思っていたのに、真逆の話である。会長の言わんとすることは分かるものの、言われること全てが疑問だらけで胸落ちしてこない。しかも、その技は神秘でも秘術でも何でもなく、理にかなった動きだと言うのだ。

少し話が変わるが、氣空術には…と言うより、合気系柔術には技の基本の一つに「合気上げ」というものがある。お互いに正座して向かい合う。そのうえで片方は両手で相手の両手首をしっかりと握り、押さえつける。それをされた側が相手の腕なり、腰なりを上げるという稽古。(氣空術ではつかんできた相手を立ち上がらせてしまう)
しかし、自分は長い間、この合気上げについては懐疑的だった。「実戦でこんな形で向かい合うことないだろ」と思っていたからだ。
自分が格闘技時代、一時的に稽古していた合気系柔術の「合気上げ」にも納得できなかった。「合気を体得するうえでこの稽古が大切だ」と言われたものの、そこでやっていた合気上げは、つかまれた相手の腕を上げるだけ。「こんな稽古で合気をつかむことができるのだろうか」という思いがいつも離れなかった。
そんな背景があったから、合気上げについては会長から「氣空術でも大切な基本の一つ」と言われても、ピンとこなかったのである。

実際、こんなこともあった。氣空術・名古屋支部がスタートする前の話である。この場でも合気上げの稽古が行われたので、体格のいい人と組んだ。すると、それなりに合気上げができてしまった。ただし、この時の身体の使い方はというと、つかまれた両手は握らない。
手の指を上に向けて、脇を締めて自分の腰中心部から上げるというやり方をしたのだ。
それを見た古くから稽古をしている方が「ああ、それではベクトル使いになっています」と言われた。「肩の力は入れません。自分が気持ち良くなって、ただ、差し上げるだけでいいんです」と。
そう言うなら、実際に自分を上げてほしい。むきになって思ったのではなく、純粋に「合気」というものを合気上げで体感したかったのだ(多少、「そう言うなら、俺にかけてみせてくれという思いはあったが)。そこでその人に合気上げをしてもらったのである。
押さえるこちらは単に馬鹿力で相手の手首を握るだけではなく、丹田に意識を落としながら、握るというより締めるような感じで押さえてみた。すると、上がらない。何度やっても同じことなので、今度は他の黒帯の方に代わってもらったが、これもまた、かからない。かろうじて、両手が多少上がる程度。「なんだ、結局、この稽古で合気がかかるなんてないんだ」と思った。自分は基本稽古とはいえ『慣れ合い稽古』をする気にはなれない。そんなものは単なる座敷芸、畳水練に過ぎないと思うからだ。なので、相手に合わせて上げられる、投げられるなんて絶対にするものかと思っていた。

ところがしかし、次の会長の指導でそれまでの合気上げの印象を覆す、驚異的な体験をさせられたのである。合気上げの印象を覆す体験…。それは古参の方と交替して、友人と二人で合気上げをやっていた時のことだ。稽古中だというのに、自分は友人にこう言ったのである。
「俺は合気上げなんて意味ないと思う。模範演武で見せているのはあくまでも『受け手の協力』あってのものだ」
そう言って、試しに俺を合気上げしてみろと挑んだのだ。友人は自分よりはるかに非力だし、腕力も無い。実際、やってみると、友人の両手はびくともしない。
しかし、彼は一時期、数年間にわたって、ある合気系柔術を学んでいたのだ。それなりに合気技を知っている彼は「この程度のことはできるぞ」と、中途半端な合気上げを返してきた。素人に毛が生えた程度の友人に返されたから、むきになって、より強く押さえつけた。こうなると会長が言う稽古じゃない。単に力対力のぶつかり合いになる。おそらく、そんな我々を見るに見かねたのだろう。会長が笑いながら寄って来られ、「ちょっと、押さえる側を変えてみましょう」と言う。そして今度は自分が合気上げをする側になった。会長から言われたのは、少し姿勢を変えること、両手の力を完全に捨て去ることだった。そのうえでこんなアドバイスをもらった。
「顔を上げてお母さんのことを思い浮かべてください。それで単に両手を上げる。それだけをやってみて」すると、なんということか!友人の身体は手が上がるどころか、立ち上がってしまったのだ。それもなんの抵抗もなく…!上げられた友人は驚愕していた。続いて会長が「今度は家族や友人・知人全ての顔を思い浮かべて、心から有難う!と思ってみてください。はい、手を上げて…」
今回もなんなく上がる。本当に力は一切、入れていないのだ。にもかかわらず、友人の体があたかもクレーンで吊り上げられたかのような感じで立ち上がってしまう。
「おまえ、本気に力を入れているか」と聞いたら、「全力で力を入れている」と言う。しかし、その感覚すらない。回を重ねるごとに、一切の抵抗なく友人の身体が上がってしまう。会長の著書に掲載されていた合気上げの写真のように。

ちなみに、この時の自分の意識はどうだったかと言うと、「上げてやる」とか「この両手を何とかしてやる」という気持ちは何一つとしてなかった。ただ、会長の言われたとおりにイメージしただけ。合気上げを真っ向から否定していた自分なのにできた…。ここで初めて会長からこう言われた。
「ねっ、できるでしょ!合気上げ、それは身体だけを使うんじゃない。心も使う。合気上げをする技術もあるけど、今、教えたのは心と身体を使う方法。それが氣空術の根本原理なんですよ」心と身体を使う術…その言葉が深く胸に残った。この時以来、自分は会う人ごとにこの合気上げを試させてもらうようになった。

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