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空手道禅道会 世田谷道場長 中島康喜②

療養しながらフィリピン支部で指導に当たる

治したい一心からフィリピン行きを決めた中島。知らない人からすれば、「何もかも投げ捨ててまで、海外に行く?」と思われるかもしれない。しかし、中島にはいろいろ考えてもそれ以外、望ましい選択肢がなかったのである。鬱病の場合、心的なストレスをなくし、環境を変えることで治る見込みも出てくる。それを期待してのフィリピン行きだったのだ。

やる気そのものが消失してしまう病気だが、中島のえらいところはフィリピンで療養しながらも、空手の指導に当たっていたことである。家族も心配だったので、途中から奥さんと子どもも呼んでアパート暮らしをしていたそうだ。結局、フィリピンには七か月半滞在した。しかし、帰国してからは依然として芳しくない状態が続く。精神的にも物事の判断がはっきりできず、ただ時間が流れていくだけの生活が続いていた。そんなある日、鬱病の本を読んだところ、そこには自分の状態が全て書いてあった。こんな自分ではダメだと、自虐的な気持ちにまでなったと本人は語る。

「何とかして治したいという思いから病院に行って投薬を始めました。小沢先生にも病院に同行してもらったこともありました。小沢先生からは薬は辞めた方がいいと言われていましたが…。辞めるきっかけになったのは、入院している患者さんの状態を見たこと。生きるパワーやエネルギーも感じられなくて、こうなったら、俺は終わりだなと思ったのです。そのうえ、さらに薬の副作用まで出てきました」

思い余った中島は担当医に二週間、断薬したいと申し出たそうだ。すると、二つ返事でいいですよと言われたものの断薬しても、具合は悪いまま変わらない。それでも、「二週間辞めたから断薬を続けたい」と申し出た。ところが、担当医からは「投薬して治す病院なのでそれはできない」という答えが返ってきた。薬を飲んでも症状は変わらず、そのうえ副作用まで出た。だからこそ、断薬したいと言ったのに、その回答である。

「その時の医師の言動に“自分を真剣に治そう”という気持ちを感じられなかったのです。そこで反発心がわいて、もうこの病院に来るのは辞めようと思いました。投薬で治そうとは思ったけど、治らない。それなら、自分で自分を治すしかないと思ったのです。薬も一切辞めましたが、断薬による副作用もたいしたことはありませんでした」

幸いにも中島は徐々に快方に向かっていった。当時、彼はこう思ったそうだ。「結局は自分で生きているんだから、自分でやっていくしかない」と。そのあたりから、彼の意識改革が始まる。

「あの頃は何かを人のせいにして、自立していなかったんですね。そこで自分としっかり向き合って、人との関りで感謝を持つようにしようと思ったのです。自分は禅道会という場で、人に恵まれていました。何かあるたびに、小沢先生から呼ばれましたし、何かと声をかけていただいていました。様々な選択肢の提案やアドバイスもいただきました」

そんな時間を過ごすにつれ、中島は自分で自分を見て認知できるようになった。いい意味での客観的な見方である。結果、それができるようになって以来、気持ちも楽になってきた。

「ちょうどその頃、タイミング良く大畑支部長から『横浜道場の少年部で指導をやらないか』と声をかけてくれたのです」

 

長引いた鬱病も克服。禅道会で子どもたちの指導にあたる

大畑からの話は週一回、月曜日に行われる子どもたちへの指導だった。稽古をつけて、子どもたちと関わり合うのが良かったのだろう。何よりも中島の胸中には、「良くなりたい」という気持ちが強くあった。結果、時間の経過と共に症状は改善し、見事に社会復帰をできたのである。その後、小沢代表から「少年部で指導ができるなら、やってみないか」と言われた中島は本部直轄の道場として指導に当たるようになった。彼にとって、このあたりからが本格的な道場での指導になった。

「レスリングの木口先生という方がみえます。有名な山本兄弟を育てた知る人は知る方ですが、その木口先生が禅道会の技術顧問をされていたのです。道場は町田にあったのですが、そこで禅道会の道場をやってみないかという話があり、自分に白羽の矢が立てられました。『やる前に木口先生と話そう』と出向いたら、いつからやるの?と聞かれたんですね。決めるも何もない。もうやることになっていたのです。それが禅道会・町田道場の発足です。当時、娘が年長で空手をやらせていたのですが、始めたばかりの生徒は自分の娘だけでした。マンツーマンで教えていたので、全日本大会でも優勝しました。我が子ながら強くて、小学校の上級生になっても男子と一緒に組手をしていました。ただ、肝心の道場経営がうまくいかなかったのです。チラシをまくなど、人集めをしたのですが、思うように行かず。最終的に町田道場は半年ぐらいで中止になりました。ただ、町田道場をやっている時に懇意にしていた父母から『世田谷でも空手の指導をやってほしい』という依頼がありました。最初は公民館を借りてやっていたのですが、門下生も増えてどうしても手狭になってきたのです」

中島は運が良かった。場所を探している際、たまたま近所の神社を見に行ったところ、そこに40畳ぐらいの広さがある道場をやるにはうってつけの場所があった。子どもたちのために空手をやるので貸してくれないかと頼んだところ、賛同してもらい、スタートすることになったのである。

 

何をやるのかをはっきり理解させたうえで指導に当たる

子どもたちにどのような指導を行っているかを聞いてみた。

「入門してくる子どもたちの父母には様々な目的や考え方があります。礼儀作法を身につけてほしい、体力・精神的に強くなってほしいなど、さまざま。そういう気持ちに応えるために、意識しているのは“子どもたちに何をするかを理解させて教える”ということ。今は何をしているかをその都度、気持ちの中に落とし込めるようにしています。稽古をするのはほかならぬ自分です。そこでがんばれたら、自分のためになるということを認識してもらうことですね。がんばったら、みんな強くなれる。それが当たり前だよと話しています」

中島の話を聞いていて感心したのは、ただ“空手を教えるだけではない”ということだ。なぜ習っているのか、今は何を学んでいるのかをその都度、理解できるように伝える。よく分からないままでは成長が望めないから、「これから何をやるのか」を、子どもたちにハッキリと理解させ、フィードバックできるようにしているのだ。さらに、家庭でも子どもたちを通して稽古の話を父母とでき、その成長を一緒に見守れるようにしていきたいというのも中島の願い。空手を通して父母と子ども、そして自分たち指導者が同じ方向を向いていけるよう努めているのである。

そうした指導を通して、子どもたちに「こうやれば、できる!」と実感できるような体験をさせる。その気づきから生まれるのが自信である。その自信が空手のみならず、勉強やスポーツなど、様々な活動をする上での基礎能力になっていくと中島は語る。

「生きていくための基礎能力が身につくと思っています。どうすればいいんだろうという思考パターンを“空手”を通して修得できるようにしたいですね。子どもたちが自分で気づく力、生きていくための基礎能力を身につけることで、健全な成長をしてほしいと願っています。もう少し、付け足すと道場にいる子たちには、キラキラ輝いてほしいです。それには自分の能力の素晴らしさに気づいていくことが大切。そこから、自分への自信を深めていってほしいですね」

中島本人の目標もある。それは全日本チャンピオンになること、優勝して、二段に昇段することだ。

「まだまだ、向上していきたいと思っています。できることを一つひとつやっていくということを大事にしたいですね。その積み重ねが成長になりますから」
やると決めたことを積み上げていけば、やり遂げることができることも体験していると中島。子どもたちと共に、成長し続けていくことが彼の望みなのである。

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