日本に武道という文化が成立したのは意外に新しく、江戸時代です。
その前は『武』は『道』ではなく、人を殺すための『術』であって、出世をするための『芸』でした。
しかし戦国時代の後期、長槍などの集団による戦術が発達や、鉄砲が攻撃の主流になることにより、個人の武術の技術で戦争の勝敗が決まることは、ほとんどなくなりました。
さらに江戸時代に入って戦争そのものがなくなると、武術は仏教の法(思想)や儒教の礼(倫理観)という古来の精神文化と融合し、武士階級の教養の一つとして確立することになります。
剣術を中心に熟成された武道は、明治時代になって武士社会が崩壊すると、日本の民族文化として急速に普及しました。
同時に剣道、柔道、弓道と武術のジャンルを表す言葉の後に『道』という文字をあてはめることによって、より精神性を前面にもってくると共に、西洋スポーツの要素を取り入れ現代に通じる武道競技として確立しました。
剣道や柔道が明治時代に確立したのに対し、空手は昭和に入ってから広まった武道です。
空手は日本の武道の一つではありますが、元を正せば琉球民族の武道でした。
そのため本土に伝わった時に、誤伝、失伝も多く、それがその後の空手界に混乱を招くきっかけとなったことは間違いないでしょう。
主に大学を中心に広まった空手は、その技術的理解が不十分のまま競技化を焦って、剣道を模擬した競技ルールを採用しました。
いわゆる寸止めルールです。
しかし「実際の格闘能力がともなわない空手は武道ではない」とする極真会館の登場によって、フルコンタクト空手が誕生します。
こうして空手は、よくわからない伝統(と称されるもの)に別れを告げ、武道であると共に格闘技としての能力、技術を模索する時代へと移っていきました。
他の格闘技が一度定まったルールに従って進化していくのに対して、新流派が誕生する度に新しい形態を生み出していく空手は、常に究極の実践形態を追及している存在といえます。
現在の格闘技界の流れにおける究極点が、バーリトゥード的な総合格闘技である以上、それに順応し対抗しうる空手が登場することは当たり前であって、現在、空手の流派の中で唯一の存在が空手道禅道会なのです。