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キックボクシング②

プロデビュー

念願のプロデビューをしたのは、入会一年後のことだった。そのころにはジム内のスパーでは、オフェンスもディフェンスもしっかりしてきたし、先輩とやっても互角に戦えるようになっていた。例の天才肌の選手ともガードを固めて、ローキックを返すという戦法で優位に立てるようにもなっていた。だから、それなりの自信もついていたのである。気持ちの中では、一ラウンドでKO勝ちしている自分の姿が浮かんでいた。
ところがである。後楽園ホールの控室に入った途端に緊張感がこみ上げてきた。今みたいに、アマチュアで経験してから、ブロデビューなんてなかった時代である。しかも、いきなり後楽園ホールという大舞台。それもいたしかたないとは思うのだが、とにかくプレッシャーでガチガチになった。それはリングに上がった時点で、さらにひどくなった。気持ちが浮くかのような感じである。ゴングが鳴って、試合が始まってからも身体が動かない。対戦相手も緊張してなかなか攻撃してこないから、こう着状態が続いた。レフリーに注意されて、ようやくパンチから蹴りへとつないだものの、すぐにクリンチされて、下手な首相撲状態になる。一ラウンドはそんな無様な内容だったから、セコンドに戻ってきた時は会長にどやされた。「なんのために、今まで練習をしてきたんだ!」と。

しかし、自分はもうその時点で体力が消耗していた。実際はスタミナが切れたのではない。緊張感から心身共に動けなくなっていたのだ。そして、二ラウンドの中盤あたりにパンチの連打から膝蹴りをボディにくらって、悶絶ダウン。テンカウントで立ち上がれなかった。無様なKO負けである。控室に戻っても意気消沈して、怒鳴りつける先輩の声すら遠くに聞こえた。

試合場に戻って、他の選手たちの試合を観ると、みんな果敢に打ち合い、蹴り合いをしている。「俺はなんにもできなかった」と思うと、言いようのない挫折感がわいてきた。そして、帰宅してからはさらにその気持ちが強まって、寝ることもできなかった。打たれたダメージもあって、しばらくは頭痛が残った。当時を思えば情けない奴だと思うのだが、それぐらい、メンタルが弱かったのである。

後悔してもどうにもならない。しょっぱい試合した自分が許せなくて、「今度こそは」と思うようになったのはその翌日からだった。そして、会長に頭を下げて「もう一度やらせてくだい」と頼み込んだのである。

二戦目はそれから二か月後に組まれた。二度と、あんな無様な試合はすまいと心に誓った自分はゴングになったと同時に攻撃を仕掛けた。ディフェンスもへったくれもない。ただ、ひたすら打ちまくる、蹴りまくるである。そのうち、偶然に放った右ストレートで相手がダウン。起き上がってきてから一気にスパートをかけて、KO勝ちをおさめることができた。レフリーに片手を上げられて勝利の喜びをつかんだ時の感覚は特別だったことを今も覚えている。

自分としてはすぐ次にでも試合に出たかったのだが、当時はキック低迷期で、興行そのものが開かれない。ましてや、地方の選手となると、よほど将来性が見込まれない限り、そうは簡単にカードを組んでもらえないのである。そんな理由で三戦目を迎えたのは、それから半年後の新人戦だった。
「ここで勝ち続ければ、実力を認められる」と意気揚々とリングに上がった自分だが、この時の対戦相手が強かった。一勝一敗の自分に対して、三勝三KOである。一ラウンドはイーブン。しかし、次のラウンド早々にフック気味のパンチをもらって倒された。
すぐに立ち上がったものの、足元がフラフラして定まらない。それでも攻撃する相手への右のカウンターでダウンを取り返すことができた。しかし、結局、この試合も負けた。休む間もなく相手は攻撃してくるのに、自分はそれに反撃できる体力が三ラウンド目に尽き果てたのである。目指していた新人王の夢虚しく消え去ってしまった。

試合は技量だけでなく、度胸もいる

結果的にプロでの試合は勝ったり、負けたり…。20戦近くこなしたものの、恥ずかしくて公表できるような戦績じゃない。そして、大学卒業と同時に仕事で広島に赴任することになり、キックの世界からは一度、離れることになったのである。

でも、あの頃のキックの試合場は今みたいに華やかじゃなかった。観客だって、その筋の人間みたいな人ばかりである。ラウンドガールなんていなかったし、メインイベンターだって、入場曲なんてなかった。それはもう、殺伐とした世界だったのである。ただ、強いものだけが生き残る、そんな感じの雰囲気が当時のキックボクシングだった。
特にリングに上がる前の控室の雰囲気が緊張感にあふれていた。試合を前に待機していると、その前にリングに上がった試合のアナウンスみたいなのが聞こえてくる。それでもって、「ダウーン!」というレフリーの声がカウントを数えると共に聞こえてくる。ゴングが連打されたら、「ああ、倒されたな」というのが分かる。
もっと、嫌だったのが倒された選手が担架で運ばれてくる時だった。まかり間違えば、俺もあんな目に遭うのかと思うと、膝が震えるような思いになった。そんな心境でも、キャリアを積むにつれ、いざ、リングに上がると肚が座るのである。それでも、試合が始まると、そうは簡単に冷静な試合運びができるもんじゃない。

丹田に意識落として、肚据えて…と思うものの、打撃をクリーンヒットされると、気持ちが動転するのである。むろん、場数をこなせば、そうもならない選手もいただろう。でも、自分はそうなれなかった。後に気功(立禅)を本格的に習っていたのも、そんな理由があったからだ。

選手からトレーナーへ

二度目にキックに関わったのは、それから八年後のことである。広島から名古屋に戻り、古巣のジムに戻ると、そこにはサンドバッグを打ち、蹴る選手や練習生の姿が見えた。もう一度、リングに上がろうかというカムバックの気持ちもないではなかったけれど、仕事帰りにジムに行っても指導することの方が多くなった。自分が試合でふがいない思いをたくさんしたから、後輩にはそれをさせたくないと思ったのである。そしてまた、指導することそのものが楽しくなってきた。現役時代は見えなかった練習の仕方や一人ひとりの体格や性格に応じた、必要な練習というものが分かってきたのである。
現役の時は自分のことしか考えずに練習していたけれど、人を見ると、その人その人に合った練習法があると感じるようになったのだ。選手の指導において、これは大切。基本的な練習があることは前提だが、すべてが同じ練習内容でいいかというと、そうではないのだ。得手・不得手、長所・短所を見極めながら、どうすれば改善できるか、どうすればスキルアップさせることができるかを見極めた指導法が必要になる。一般の練習生ならそこまで考えなくていいのだろうが、プロを目指すとなると、指導も一括りではいかないのである。そして、広島で八年間学んだボクシングのテクニックも伝えられると思った。「これからはトレーナーとしてやっていこう」そう思うのに時間はかからなかった。

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