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格闘技・武道の指導体系について

格闘技・武道を始めるきっかけは誰もが同じだと思う

前にも書いたが、自分は長年にわたって、打撃格闘技をやってきた。正確に言うと、現役でやっていたのは六年程度(その前に伝統派の空手を三年間やっていた)だから、以降は後輩の指導に当たっていたのである。つまり、選手より、指導する側の年月の方がはるかに長かったのだ。
空手時代とキックボクシングの現役時代はとにもかくにも、強くなることだけが目標だった。身体を鍛えて、喧嘩にも強くなりたかったし、空手時代は黒帯をとるのが目標であり、キックボクシング時代はランキング入りするのが目標だった。いずれも、ただただ、強くなることだけが大前提だったのである。

その理由として、自分は幼少時から身体が弱かった。すぐに病気になったし、スポーツそのものも得意ではなかった。小学校低学年ぐらいから、病気になることは少なくなったものの、学校で行われる球技中心の体育は苦手だったし、当然のごとく成績も悪かったのである。「自分は運動音痴だ」という思いがしみついてしまっていたのだ。
そのくせ、気持ちだけは激しかったから、喧嘩はよくやった。身体も細かったし、体格的にも恵まれていなかったから、負ける方がはるかに多かったものである。だからこそ、「強くなりたい」という気持ちは人一倍、強かった。ただ、運動音痴というコンプレックスはずっとついてまわっていたから、「何かをやって自分を鍛えよう」という気持ちにはなれなかったのである。

我が格闘技人生は剣道との出会いが自分を変えた

そんな気持ちが変わったのは、中学に入って、体育の正課で剣道を始めた時のことだ。教えてくれたのは体育の先生ではなく、剣道五段の国語の先生だった。この先生から「おまえは筋がいい。みっちりやれば強くなる」と言われたのである。
この言葉がどれだけ、励みになったことだろう。それ以来、体育で行われる剣道の授業が楽しみになった。楽しみは上達につながることを知ったのは、すでにこの頃にして始まったのである。

週二回の授業ではあったが、上達の進歩は誰よりも早かった。竹刀を合わせても負け知らずだった。剣道部員とやっても互角にやりあえたのである。それだけ、上達したのだから、剣道をやれば良かったのだが、少年ながらにして「武器を持たず、徒手空拳で強くなりたい」という気持ちの方が勝っていた。
時を同じくして、映画で「燃えよ、ドラゴン」が上映された頃である。それを観て始めたのが伝統派の空手だったのだ。
これ以降の経緯は以前も書いたので省くが、それ以来、数十年にわたって、打撃格闘技の人生が自分の中で続いたのである。一つのきっかけが人の人生に大きな影響を及ぼす、典型的な例と言えるだろう。

人の性格パターンによって、指導は変える必要あり

話は変わる。
自分は組み技・投げ技系の格闘技や武道については知らないが、打撃系に関して言えば、頭角を表すのはもともと、気性の強いタイプの人間だと思う。特に顔面ありとなると、当然ながら、誰しもが殴られるのが怖い。それを練習で克服していくわけだが、気の弱い人間は殴られると、どうしても顔をそむけてしまう。結果、相手のパンチを見ていないわけだから、当たれば余計に効くのである。それによって、打たれる恐怖感はさらに強くなる。
それに反して、気の強い人間は打たれる恐怖を抑制することができる。つまり、打たれ慣れしていくのだ。それができるから、ディフェンスも巧くなる。二発、三発くらったって、こちらも打ち返せばいいんだという気持ちにもなれるのだ。だから、気の強い人間の方が組手やスパーリングの上達は早い。

じゃあ、気持ちの弱い人間はダメなのか?と言うと、決してそうではないのだ。これは指導者の教え方・裁量によるが、練習を積めば、そういうタイプの人間だって強くはなる。

昔、キックボクシングの日本チャンピオンになったSという選手がいたが、この人は自ら「俺は“打ち合い”は嫌いだ」と言っていた。さらに極度の近眼でもあった。そこでそのジムのトレーナーは徹底的にガードを固め、相手の胸のあたりに視線を向けるように指導し、こちらの主戦武器はローキックにして、その練習を徹底的にやったと言う。
グローブブロックをしっかりすれば、まともにパンチを食らうことはまずない。そのうえで、相手の攻撃の出鼻へのローキックである。
そう簡単にできることではないが、そのSという選手はその戦い方を完璧に身につけていた。ガンガン前に出てくる激しいファイタータイプの選手も地道に蹴られるローキックのダメージで敗退していったものだ。
もしも、S選手が他の選手と同じような指導法で育てられたら、チャンピオンになるどころか、デビュー戦あたりで終わっていたと思う。だからこそ、指導する側の見極めは非常に大切なのだ。十人十色で人は誰もがそれぞれの苦手と得意がある。だから、いかに苦手な部分を克服して得意を活かすかが指導者の力量になるのだ。

自分に合った指導者との出会いが人生を変える

ここでまた、話は少しだけ変わる。
前々回、シリーズで紹介させていただいた大誠館館長であり、禅道会の北海道責任者を任せられる宮崎さんも指導者との出会いを通して、自らの武道人生を築いていった人の一人だ。
初めは正道会館の石井館長との出会いと、そこでの稽古。その次に禅道会・小沢代表との出会いである。
石井館長との初めての組手では、投げ技で見事に投げられ、空手の技の中に捌きや投げを入れることの必要性を体感させられた。そして、小沢代表との出会いを通して、組み技・投げ技・寝技の独自性に新たに感じさせられるものがあった。

宮崎館長から聞いた話で自分の心に鮮明に残っているのは、「寝技を体得すると、打撃が怖くなくなる」という話だった。むろん、そう思えるまでになる修練はいるだろう。どんな技だって、一朝一夕で得られるものはないのだ。しかし、寝技を身につけることで打撃技に対する恐怖感が拭えると聞かされたのは、初耳であり、感じさせられることは大きいものがあった。

打・倒・極の総合格闘技である禅道会の稽古体系を築いたのは、小沢代表その人である。これもこの記事に執筆してきたことだが、改めて書くと、小沢代表は武道・格闘技のみならず、ラグビーやアメフトなどのトップアスリートたちと東海大学時代に時間を共有していた。体育会系では、全国にその名がとどろく東海大学である。類まれなる膂力のある者もいれば、天性の身体能力を有する者もいた。そういう人間たちが鍛えるのだから、持って生まれた能力はさらに上がる。小沢代表は時にそんな猛者たちとの実戦経験を通して自分が学んでいた空手に疑問を感じ、さらには、「武道とは何か」までをも追求するようになった。稽古体系も姿勢と呼吸法を意識した基本稽古や移動稽古で身体を作り、技を練る。それをすることで、打撃の威力を向上させると同時に、スポーツ界で言われる“ゾーン”という超集中状態の意識をも持てるようにする。さらには、抗重力筋による身体操作をも編み出し、短時間でも護身には使える稽古法も行っている。

格闘技・武道の世界は狭いようで広い。他にも独自の稽古体系を構築している流派の主宰者は大勢、いるだろう。そういう人たちと出会えた入門者は幸せである。今はネットでも数多くそのような流派や道場が紹介されているから、「これ!」という自分にマッチした格闘技・武道を選択するのもいいと思う。

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