アイキモードとはいったい、何か。
これについては、説明のしようがないのだ。
一つの例として、炭粉さんの著書、合気解明(海鳴社出版)の一部を紹介しておきたい。
ガチンコのフルコンタクト空手をやってきた炭粉さんは、当初、「合気?そんなものが我々の真剣のど突き合いに通用するものか!」と思っていた。しかし、その空手の先輩から、それは実際にあるという話を聞かされて以来、関心を抱くようになった。そして知り合ったのが冠光寺流の保江邦夫師であった。
座った状態の保江師の両手首をがっしりと握りこんだ炭粉さんは「上げられてなるものか」と満身の力を込めて、押さえ込んだ。ところが、難なく立ち上げさせられたのだ。「こんな筈はない!?」何度も同じ体験をした炭粉さんはその後、いくつかの合気の技をかけられ、驚愕した。
だがしかし、それが実際の打撃戦に通用するかと思っていたところ、保江師から「スパーリングをやりましょう」と申し込まれたのである。正直、「いくらなんでも、それは無理だ」と思ったそうだ。合気の不可解な技はある。だが、実攻防となると話は別物である。それでも「先生から言われたことだ。思いっきりいこう!」とワンツーから右ローキックを叩き込んだ。その瞬間、保江師のなんでもない軽い掌底で道場に叩き付けられたのである。その後、今度こそはと攻撃を仕掛けたものの、やはり、同様に投げられるか、吹っ飛ばされる。「これが合気か…」
衝撃の体験をした炭粉さんは以来、合気探求を続けた。そしてついに、自らもその合気を体得したのだ。
当時、すでに炭粉さんと親しくなっていた自分はその動画を実際に見せてもらった。相手が全力で攻撃してくるのに対して、避けるのでもなく、捌くのでもなく、受けるのでもない。ただ、前に出て、触れるだけである。にもかかわらず、攻撃を仕掛けた相手は声を上げて、倒される。氏は自ら体得したそれを「零式」と名付けた。そして、自分がアイキモードを体験したのもその後しばらくしてからである。
前回、書いたように稽古仲間のKさんと空手の約束組手のようなことをしているうちに突然、それが起きたのだ。しかし、一回目の稽古で「合気を体得した」とは言えない。その翌日もKさんに頼み込んで、自主稽古に取り組んだ。すると、前日と同じようにかかる。Kさん自身にもそれができた。自分がパンチを打ち込むと、相手が何かを仕掛けたわけでもないのに、体が瞬時に硬直したかのごとくになって、吹っ飛ばされるのである。自慢するわけではないが、自分の合気はさらに精度を増していた。相手が打ってこようが、組んでこようが、ただ、前に出て軽く触れるだけ。それだけでかかるのだ。
あまりにも技(というか合気)がかかるから、Kさんには何も言わず、打撃攻防の受けるをやったところ、これだとかからないのである。二回、三回と試してもそれは同じだった。逆にKさんから言われたものだ。「さっきまでの感覚が無くなっているよ」と。ここに至って、自分たちのできているのが、まごうことなく、合気であることに確信ができた。その時の意識は相手の攻撃に何とかしようという気持ちは一切ない。まさに無意識の心境である。
それを体感した自分は同じく氣空術門下の仲間との稽古でもそれを試した。すると、やはり、かかるのだ。なおかつ、不思議なことに相手の動きが何となく読めるのである。それより早く動いて、自らの掌を触れると、相手は声を上げて吹っ飛ぶのだ。できたことが嬉しくてならなかった自分は会長にも炭粉さんにもそれを報告した。お二人はとても喜んでくれ、「合気開眼、おめでとう!」と称賛してくれたものだ。
そして…ほぼ時を同じくして、氣空術で知り合った東京支部のTさんも仲間との自主稽古中にアイキモードができたと言ってきた。彼は自分より、理論的であり、いわゆるスピリチュアル系のことは断固として否定するタイプであり、若き頃はフルコンタクト空手の有段者であり、以降、キックボクシングも、そしてそれよりはるかに実践的な武術的な空手の修行にも明け暮れていた男なのだが、合気を求めているうちに氣空術と出会い、その稽古をしているうちにある日、突然、アイキモードができたと言う。それはTさんのみならず、共に稽古をしていた仲間にも同様の現象が起きたそうだ。
もう一つ、不思議なことを書く。このアイキモード、できた時はその後になって、やたらと疲れるのだ。できたことが楽しくて、一時間、二時間とやっているうちに、その後になって、体が動かなくなるぐらいの疲労感を覚えるのだ。人によっては、頭痛がするなどの症状が起きることもあるらしい。なぜ、そうなるかを稽古仲間であり、脳外科医であるKさんに尋ねたところ、「おそらく右脳を酷使して、無意識状態が続くからではないか」との返答があった。合気は顕在意識ではなく、無意識領域の動きだと言うのである。
以前、書いたように格闘技でも武道でも、何気なく行使した技で相手が倒れるか、投げることができたという体験は何年もやり続けた者なら、数回はそれをしているはずである。「えっ、こんなので倒れるのか?」というぐらいの感覚で。倒そう、投げようの世界ではない。無意識に出した何らかの技に合気が発動するのである。そしてそれは決して、筋力による動きではない。少しでも力が入ろうものなら、合気はかからないのだ。
ところがである。武道・武術の世界、そんなに甘いものではない。稽古仲間とそれができたからと言って、他の格闘技や武道をやっている者と対戦すると、まったくできないのである。「こんなはずはない」というぐらい、できないのだ。稽古仲間との合気は決して、ラポールではなかった。それを試して、間違いないことも実感していたというのに、いざ、他の場でそれを再現しようとするとできないのだ。その理由はやはり、何らかの形で「やってやろう」という意識が前面に出ているからだ。その意識は動きに筋力を生じさせる。それ故に合気が消え去ってしまうのである。だが、十回中に二回程度はできる時があった。倒れた相手が「今、何をした?」と不思議がるぐらい、抵抗感なく合気がかかるのである。合気は間違いなくある。当初はそれを疑っていた自分も確信するようになった。それでもである。合気が万能だとはこれっぽっちも思っていない。無意識でかける技や動きなど、そうそう簡単にできるものではないし、未知の相手と対戦する時など、多少の緊張感を抱けば、瞬時にそれは消え去るのだ。
したがって、自分の少ない経験から言えば、「合気=実戦に通用する」は妄想の世界である。これはある合気の指導者も同じことを語っている。「合気ができるからと言って、強いとは限らない」と。昔の達人と呼ばれる人には、それができたのであろう。しかし、たかが数年程度で「合気が他でも通用する」とは言えないのだ。そんなことがでたら、誰もが簡単に達人になっているはずだ。稽古でそれができたからと言って、実戦でいつもそれができるかと言うと、無理だ。少なくとも、自分に限って言えば、そうである。特に合気を試そうと何らかの格闘技や武道のエキスパートと対戦すると、それが甘っちょろい考えであることを身をもって体験させられるのである。
話は少し変わるが、このアイキモードの状態の時を科学的に分析できないものかと、ある大学の教授に頼み込んだことがある。それは一時、できそうに思えたのだが、諸事情でできなくなった。アイキモードの時、その人の脳や体にはどういう変化が生じているかを科学的に解明したかったのだが…