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空手道 大誠館 宮崎文洋館長の武道人生 4

石井館長命令で正道会館北海道支部長に就任する

石井館長の命を受けて、正道会館・北海道支部の発展に奮戦していた宮崎。前回の記事にも記載したように、その努力の甲斐あって、門下生の数は1000人を超えるまでになった。フルコンタクト空手というカテゴリーの武道の中では、異例の大規模な人数である。戦略的な企業家の石井館長の助言もあったと思うが、やはり、宮崎本人の明確なまでの目標設定とそれに向けたアプローチがあったと思う。

それと同時に、入門者が増えたとしても、その人たちが空手を続けるかどうかは、その道場に魅力がなければ、継続はしない。その魅力は何かと言えば、指導者の器量である。

空手のみならず、武道の稽古というものは地道なものだ。最初は「強くなりたい」という思いで入門してきても、同じことの繰り返しがマンネリ化してしまい、退会してしまうケースはいくらでもある。それをさせないのが、指導である。分かりやすい教えのもとで、自分が上達していくのを心と身体で感じてくると、稽古の楽しみが出てくる。そうなると、人間は向上心を持っているから、「もっと、巧くなりたい」という意識が芽生える。それが門下生の定着につながるのだ。宮崎ばかりを持ち上げているようだが、そうではない。門下生の多いところは、空手でもなんでも、指導者の教えが巧みであり、分かりやすく、そして楽しめる指導環境があるからなのだ。

これからのフルコンタクト空手の流れはグローブ着用…

さて、組織の発展ばかりのことを書くと、宮崎は商売人のようなイメージでとられるかもしれないが、ここまでは自分の個人的な関心で訊ねた内容である。宮崎はあくまで、武道として空手家を目指す人間であることは当然のことであることも記載しておかなければならない。そこで、これからは、空手家・宮崎の話を書いていこう。

「K1を主催するようになって以来、石井館長から『これからのフルコンタクト空手の流れはグローブやで』と言われていたんです。それまでは顔面無しのフルコンタクトルール。その壁を越えようとしたのも石井館長ならではの斬新な発想だったんですね。自分の中では、グローブによる打撃技術と言えば、その最高はボクシングと思っていたので、それを確認したら、『違う、ムエタイだ』と言われたんです。当時はK1もヘビー級の選手の対戦しかやっていなかったのですが、『中量級、軽量級のK1も開催していく、だから、北海道からもデビューできる強烈な選手を育てておけ』と言われました」

それは宮崎がたまたま、K1事務局に行った時に言われたそうだ。しかし、当時はネットも今のように普及していない時代だったので、宮崎は単身、タイに赴いた。そこで情報を集めながら、ムエタイのジムを見て廻り、いちばん活気のあったギョーサムリットジムと提携することになった。

「提携以来、こちらから選手を送ったり、向こうからも送ってもらうなど、お互いに技術交流をして選手を育てようということになったんです。ムエタイの印象はと言えば、ハングリーさと芸術を見るような気がしましたね。蹴りにしろ、パンチにしろ、研ぎ澄まされているような感じ。『これは得るものがたくさんある』と感じたことを覚えています。それから一年もしないうちに、北海道支部から高校を卒業したばかりの選手を一人送り出し、ムエタイのジムに一年間留学させたんです。強いジムだったので、練習の成果が実り、デビュー戦がムエタイの殿堂・ラジャダムナンスタジアム。大舞台であるにもかかわらず、1ラウンドで右ストレートでKО勝ちをすることができました。その後、K1では数名の中量級選手を出場するまでに至ったのですが、ある選手は三年ぐらい、タイで三年間みっちり修行させ、いつでもK1に出場できるよう、秘密兵器として育てていました。ちょうどその頃、全日本キックでチャンピオンだった選手が日本でムエタイ選手と試合をして、完敗したんです。その同じムエタイ選手と二週間後に、秘密兵器として育てていた選手がタイで試合をしたところ、一度1ラウンドで右ストレートでダウンを奪い、最終ラウンドまで持ち込まれドローになったものの、試合内容では勝っていました(ムエタイでは、パンチより蹴りがポイントになる)」

北海道初!タイ式マッサージの店舗が大ブレイクする

選手と共にタイに同行していた宮崎は試合とは別にあることに関心を抱いた。日本選手では考えられないことだが、ムエタイの選手は試合前にウォーミングアップをしないのである。ジムの会長が試合前後に選手の全身をタイオイルでマッサージをするのを見て、「強さの秘密はそのあたりにもあるんじゃないか」と思ったのである。以来、宮崎も定期的にタイに渡るようになり、タイ式マッサージの学校にも通うようになった。このあたり、宮崎ならではの物事に対する研究熱心さが伺える。

「2000年の時に北海道にタイ式マッサージの店舗まで開いたんです。それが北海道初だったので、大ブレイクしましてね。札幌市内に五店舗展開するようになり、北海道支部の門下生も1000人を超えていたので、自分にしてみれば人生の絶頂期でいちばん、調子に乗っていた時でした。そして、道場の拡張も図ろうと、札幌駅の隣にある桑園という駅に目をつけ、JR直結の場所に130坪の空手とムエタイジムが入ったジムを設立したんです。そこにタイ留学から帰国していた選手をトレーナーとして指導にあたらせていました」

少し話は変わるが、空手とムエタイ、同じ立ち技の打撃系格闘技・武道であるが、現地で実際に試合を観たり、共に練習をする中で宮崎が驚かされたのはなんだったのかを聞いたところ…

「ムエタイの技術でいちばん凄いと思ったのは首相撲。アヌワットという後にムエタイ四冠王の選手と自分が首相撲をやったところ、体重差があるにもかかわらず、まったく適わなかったんです。それが衝撃になって、首相撲の技術を研究することにしました。当時、正道会館では3秒間のつかみと、瞬間的な引っかけで上段を蹴るなどのルールがあったのですが、首相撲をやると、体幹が強くなるので、急につかまれても崩されず、対応できるようになったんです。このあたりは、ムエタイと技術交流したことの成果の一つでした」

2005年に自らの流派・大誠館を立ち上げるが苦難の連続

ここでまた、話は変わる。前回の記事にも書いたが、あれだけ正道会館の発展に力を注いでいたにもかかわらず、宮崎は様々な理由で破門された。1000名を超えていた門下生も全員、正道会館に返し、「もう、空手を辞めよう」とまで決意していたのである。しかし、その頃、森さんという少年部のお母さんがアルバイトで入ってくれていた。その子どもたちが二人、北海道支部で稽古をしていたのである。

その親子に道場を辞めると言った際、親も含めて泣きながら「空手をこれからも教えてくれ」と懇願された。それだけ、宮崎が子どもたちから好かれ、宮崎の教える空手に魅力を感じていたのであろう。情に熱い宮崎である。「じゃあ、二人だけで始めるか」と130坪の広い道場で宮崎も含め、わずか三人だけの稽古をするようになった。それが大誠館の始まりになったのである。

空手を辞めようとしていた宮崎だが、自分の思いを言うと、それまで懸命にやってきたことはそう簡単に諦めがつくものではないと思う。宮崎もきっと、そうだったのであろう。たった二人ではあったが、少年と楽しみながら空手の指導にあたっていた。

しかし、好事魔多し。運気が低下している時はいろいろと重なるものだ。道場経営とは別に先にも記載したタイ式マッサージの店舗が宮崎にはあった。その収益をまわせば、道場の家賃も払えると思っていたのだが、ここでも不運な事態が起こる。信頼していた友人の裏切りに遭い、タイ式マッサージの店舗の権利を全てとられてしまったのだ。結果、あれだけブレイクしていた店舗も辞めざるをえないことになり、収入源もなくなってしまったのである。

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