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キックボクシング⑦

選手育成編

キックボクシングシリーズ、ここで話は変わって、自分がコーチとして元の古巣のジムに戻ってきたからのことを書く。

その当時、ライト級のランカーが二名いて、この二人が看板選手みたいになっていのだが、就職や新たに自分のジムを持ちたいということで、二人とも相次いでジムから去っていった。残ったのはフェザー級の三回戦選手一人だけである。当時は選手育成メインのジムだったから、一般練習生のうちから誰か一人でもいいから、選手を目指したいという人間を育てたかった。

ちなみにフェザー級の選手はスタミナはあったものの、テクニックやパワーに光るものがなく、五回戦昇格にまでは至らず、途中で辞めてしまった。今なら、一般練習生が楽しく学べるジムでいいと思うのだが、当時は「何とかして、プロを目指させてやりたい」の一心である。
そのうち、一人、二人と「選手になりたい」と希望してくる者が出てきた。好機到来である。教え甲斐もあるし、練習で鍛えて連戦連勝を目指そうと思った。そのうちの一人がОという男である。

彼はフルコンタクト空手出身者だったが、練習熱心で顔面攻撃・ディフェンスも少しずつ体得できるようになった。身長は自分より低かったけれど、体格はがっしりしている。ストレートより、フック、アッパーが打ちやすいタイプだったから、それを中心に指導した。
当時、マイクタイソンが活躍していたから、その試合のビデオを渡せて、「この動きをそっくりそのまま、真似することができるようにイメージしろ」と伝えもした。

素直だったから、言われた通りにした彼はやがて、パワーあるパンチを中心に戦えるファイターへと育っていった。戦績は二戦して一勝一敗だったかな…。勝つ時はKO勝ち、負けてもKOという、観客を喜ばせる選手だった。コーチである自分としては、KO勝ちの山を積んでそのまま、上位ランクを目指したいところだったのだけれど。

アマチュア大会の開催

このあたりからだろうか、選手を希望する入会者が増えてきたのは。ほぼ、同時期に新空手という団体も発足して、この試合も行われるようになった。グローブとレガースを着けて、試合時間は二分。その間にミドルキックを五発蹴ればポイントになるというルールだった。キックボクシングのアマチュア版のようなものである。さらに、地元にシュートボクシングのジムがあり、ここの会長と交流するようになって以来、シュートボクシングが主催するアマチュア大会にも積極的に選手希望者を出場させるようにした。このあたり、自分が選手だった頃とは大違いである。

いきなり、プロデビューして辛酸をなめるより(勝てばいいのだが、負けた場合のショックが大きい)、気軽に出場できるアマの大会に数多く出て、場数を踏んだ方がいいに決まっている。
事実、フルコンタクト空手だって、道場内で様々なタイプの門下と組手をやり、それ相応の技術がついたら、地方の大会に出場し、予選を勝ち抜いた者が全国の大会に出るのだ。だから、実攻防の経験は積めば積むほど、技術もついてくるし、それなりに精神力もついてくる。だから、少しでも経験を積ませたくて、幾度もアマの大会に選手を送り出した。結果、選手たちもそれなりにスキルアップしていったのだ。

「鬼コーチ」と呼ばれていたあの頃

試合で勝利するには一にも練習、二にも練習!当時はそう考えていた。自分が負ける試合の方が多かったから、選手には同じ轍を踏ませたくなかったのと、強くなるにはそれしかないと思っていたのである。
だから、試合が決まると、自分が選手に課す練習はかなりハードなものになった。ミットの時はへばるまでやる。こちらもキックミットとボディプロテクター、レガースを着けて、打ち返し、蹴り返しをやる。キックはボクシングと同様、一ラウンド三分間である。それを少なくとも10ラウンドぐらいはやっていた。
選手がきつくなってきて、へばろうものなら、「それぐらいで、根を上げるな!」と蹴りまくった。疲れているから、容赦ない打撃をくらうと、選手は余計に辛くなる。それでも、肉体は悲鳴を上げても精神はくじけないという、まさにスパルタの指導をしていたのだ。
むろん、指導するこちらだってかなり体力が消耗する。打ち返し、蹴り返しは自身がミットを受けているようなものだから。それでも気合と気力を上げて、やっていた。時には「俺より先に音を上げるなぁ!」とばかりに、倒れた選手を蹴りまくったこともあった。
そのミットが終われば、そのままサンドバッグ練習をする。これもただ、三分間をやらせるのではなく、30秒全力でやって10秒休みの繰り返しというインターバル走のような練習をさせた。

今なら、もっと合理的に鍛える練習メニューを考えられるのだが、当時は猛練習こそ勝利につながると信じていたのである。当然ながら、ジムの雰囲気は殺伐としていた。すべての練習が終わってぶっ倒れるものもいれば、スパーで昏倒するものも続出した。そんな調子だから、たまに見学者がいても当然のごとく、入会してこなかったのだ。

チャンピオン育成を目指して

そんな猛練習につてくる選手たちはそれなりに強くなった。だが、五回戦を迎え、ランカーとの試合になると、そうは簡単に勝てない。要因は技術力である。

技術とはいえ、攻撃・防御だけではなく、相手との駆け引きの部分である。いくら体力や気力があっても、巧みに間合いをとられ、ディフェンスされると、それに翻弄されてしまい、選手本来の実力を発揮できないまま、試合が終わってしまうことは多々あった。そういう時は選手ではなく、自分の指導力や指導ノウハウに反省することしきりだった。

ちなみに試合会場は毎回、後楽園ホール。格闘技のメッカである。タイトルマッチの時は選手とそのセコンドは三階から入場曲と共に華々しく入場してくる。
当時はK1などなかったけれど、試合前の演出効果はそれなりにされていたのだ。そんな姿を見るにつけ、「いつかうちの選手たちもあの3階席から出場させたい」と心から思った。それには5回戦で勝ち抜いていくことである。地方のジムだから、それなりの脚光を浴びないと、なかなかカードが組まれない。その試合の一つでも負けたら、次の試合が組まれるのは先の先になってしまう。どうしたら、勝てるか、どうしたら、実力をリングで発揮できるようになるか。当時はそればかりを考えていた。相変わらず、猛練習はしていたが、それだけでは勝てないことを痛感させられていたから、対戦相手が決まると、その試合のビデオを観て、選手と共に戦略を考えたりもした。さらに、コーチとしての自信の知識を得るためにコーチングメソッドを教えるセミナーなどに積極的に参加して、学んだりもした。いま、振り返ると、本当にキックボクシング漬けの毎日だったのだ。

しかし、その成果は着実に実っていった。そして、運を引き寄せるチャンスも訪れた。
ある日、連盟から「バンタム級の王座決定戦をやる。選手を出してくれないか」という電話が入ったのである。これにすぐ飛びついたのがNという選手だった。彼はフェザー級で試合をしていたのだが、「こんなチャンス、2度とないから、階級を落としてでもやりたい」と言ってきたのだ。

試合まで1か月。彼はその日以来、猛練習と対戦相手対策、そして減量に取り組んだ。フェザーから1階級落としての減量である。それは傍から見ていても辛いのが分かった。

※今回の記事、写真と本文は関係ありません。ご了承ください。

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