年末に行われたこの試合、メディアでは騒がれていたが、「どうせ、エキシビションだろう」と思っていた。那須川はキックボクサーとしては天才肌の選手である。でも、それはあくまでキックボクサーとしての話だ。それがボクシングのルールでプロのエキスパートと戦ったらどうなるか?そんなこと、格闘技をやっている者なら、誰もが予想がつくはずだ。だから、この試合、エンターテイメント的なもので、那須川は真剣にやっても、メイウェザーは巧みなディフェンステクニックで余裕を持って、それをかわし、試合は終わると思っていたのだ。ところが、蓋を開けてみたら、予想外の展開になった。
たまたま、ヒットした那須川のパンチでメイウェザーが本気になったのだ。それであの結末である。これまた、メディアでは「残酷な…」などと取沙汰されていたが、そういうこともあり得ると予想できなかったのだろうか。冷たい言い方かもしれないが、あの試合を観ても残酷とは思わなかった。もっと、壮絶なダウンシーンを何度も見ているからだ。実力差があれば、それは当然のことである。
だがしかし、KOで決着して10億ものファイトマネーを得たメイウェザーを見ているうちに気分が悪くなった。
メイウェザーはこの試合の前にも総合格闘技のUFC世界ライト級王者コナー・マクレガーとも対戦して、やはりTKO勝利しているが、この試合もボクシングルールである。自分の土俵にいくら、トップクラスの選手とはいえ、ボクサーではない格闘家を引っ張って勝利したところで、どこに称賛するものがあるのだろう。メイウェザーが相手方のルールでボクサーとして戦うなら、いい。しかし、そうではないのだ。しかもそれで巨額のファイトマネーを得るのだから、気分の悪い話である。
どうせやるなら、メイウェザーはキックボクサー(あるいは空手家)と「蹴り、肘、膝あり」のルールで戦ってほしい。あるいは総合格闘家と「組み、投げ、絞め」ありのルールでやってもらいたいものだ。
那須川との試合でニヤニヤ笑いながらやっている姿を見て、キックボクサーのローキックを食らってみろ!と思った。総合格闘家に組まれて、締め上げられてみろとも思った。個人的な感情だが、とにかく腹立たしい試合だったのだ。
しかし、それはそれでいいとしよう。余計に腹が立つのはちょっと、ボクシングをかじっていて、単なるボクシング好きな人間が「やっぱり、ボクサーは強い」と言うことだ。この言葉、何度か聞かされて、大人げないけれど、きつく反論した。
まぁ、素人だからそんな言葉が出るのである。本当にボクシングをやっている者(選手)なら、こういう発言はしない。ボクサーはあくまでもそのルールで戦うから強いことを知っているからだ。
だから、今現在、真摯にボクシングをやっている選手からもメイウェザーのあの試合に対する評価は悪い。「あんなの、茶番だ」と言い放つ選手もいた。まったくもって、そのとおりである。あれが異種格闘技戦でメイウェザーが勝利したなら、自分はそれを称賛しただろう。
話は少し変わるが、異種格闘技戦が行われていた頃、素人は「やはり、●●の格闘技が一番だ!」と思うのだが、それも違う。その格闘技が強いのではなく、勝利した選手、一個人が強いのだ。
そういう意味でも異種格闘技戦には興味がない。あくまでも自分はそれぞれの格闘技なり、武道なりを真剣にやっている人たちをリスペクトしている。
キックのトレーナーをやっていた頃、空手家をはじめとする様々な格闘家、武道家が指導を受けにきたことがあった。そして彼らは一様に真摯な姿勢を崩さなかった。そんな彼らから、それぞれの打撃技をこちらも教えてもらうこともしていた。やりもしない、あるいはちょっと、やった程度の人間が空論をかざすのではなく、真剣にやっている人たちはそれぞれの格闘技、武道を尊重しているのである。
以上、キックボクシングの話とは内容がずいぶんそれてしまったけれど、どうしてもこれだけは書いておきたくて書いた。
話を前回の続きに戻そう。
バンタム級の王者決定戦に挑んだNの話である。猛練習をしながら、フェザーからバンタムにまで減量まで落とすのは見ているこちらからもその辛さが分かった。
今でも覚えているが、ちょうど減量のいちばん苦しい時、Nと自分がマスをやった時のことである。こちらは引退して、十数年経った身。Nは現役バリバリの選手である。短時間なら互角に戦えるものの、それ以上になると、自分は相手にならなかった。スタミナが切れて、動けなくなるのだ。しかし、その減量中にやったマス、Nが前に出ようとしたところに前蹴りを合わせたら、それがまともにボディに入って、うずくまってしまった。それだけ、弱っていたのだ。「こんな状態で試合ができるだろうか」と不安になったものである。しかも、計量は前日ではなく、当日計量である。極端な減量は肉体的にも悪影響になる。それを心配したのだ。
しかし、それは杞憂に終わった。計量を終えて、軽く食事を済ませ、休憩してからリングに上がったNの動きはフェザー級の時と変わらぬぐらいのいい動きをしていた。この男、決して天才肌の選手ではなかった。しかし、練習に関しては他の誰よりも努力家で、戦略に優れていたのである。後に「おまえのことはテクニシャンと呼びたくないけれど、テクニシャンなんだよな」と笑いながら言ったことがある。努力に勝る天才は無しをそのまま実践するような選手だったのだ。
結果、彼は判定で勝利を得た。自分がチャンピオン育成に関わって初の第一号である。セコンドからレフリーに手を挙げられるNを見ていて、万感の思いが胸にわいてきたことを今も鮮明に覚えている。
その後、Nは確か三度目の防衛戦で肘で切られて、TKО負けをしたが、それでも諦めなかった。真剣に努力する者には神が手を差し伸べるのかと思ったが、今度はフェザー級王座決定戦のオファーがきたのだ。相手はパンチも巧く、ローキックとそれを組み立てながら戦う技巧派の選手。下馬評では、相手の勝利を予想する声が圧倒的に高かったのだが、ここでもNの戦略が発揮された。
「A(相手選手の名前)はローキックが得意。その得意を封じるのではなく、活かせて戦う試合展開にしたい」。
そう言うのだ。このあたり、チャンピオンになるだけの思考能力のある男だなと感心したものである。つまり、ローキックはバンバン出させる。その蹴ってくるタイミングに合わせて、こちらもローと左右のパンチのカウンターを狙う戦略だ。
これだけを何度も練習した。スパーリングパートナーに対戦相手のAと同じような戦い方をさせ、対処する動きを修練していくのである。この時は猛練習というより、マスボクシング中心の練習を何ラウンドもこなした。そして、その成果は実際の試合でいかんなく発揮された。パンチとローでKОを続けてきたAの攻撃はNの巧みな返し技の前に威力を発揮できない。自分の得意とする攻撃が思うようにならないと、選手は精神的に焦る。結果、判定でNの勝利。今度はフェザー級のベルトを巻くことができたのである。ちなみにNの後、四名のチャンピオンがジムから誕生したが、二階級制覇を成し遂げたのはNただ一人だけであった。