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合気の章②

合気

相手と立ち会った際、戦うのではなく、和合する…前回のトピックス記事では、そう言われる塩田師の言葉を綴った。それが実際にできるなら、素晴らしいことである。だがしかし、その系列道場で学ぶ友人・知人からは「塩田先生のような技は門下の誰もが使えない。あの人は特別だ」と聞かされた。さらに、大学でほんの一週間程度、体験した合気道には武道として、なんら魅力も感じられなかった。

それでも、どこかに「合気」の術を行使できる人がいるのではないかと思っていたのである。そのきっかけはと言うと、キック時代、K1に出場していた有名な外国人選手とライトコンタクトのマスをやった時のこと。身長、実に190cm体重90kgを超えるその選手とリングで向かい合った時、あたかも巨大な壁を前にしたような思いになったのである。こんなのに思いっきり攻撃されたら、絶対に敵わない。それを感じたから、「ライトコンタクトだぞ」とあらかじめ頼んだ。ゴングが鳴って、手合わせをしたら…向こうは軽く攻撃してくるだけなのに、その一打一打が強烈に重いのである。ミドルキックなんか、あたかも丸太が飛んでくるかのような衝撃があった。手加減してくれて、これである。「格闘技、体格差があったら、その差は絶対に埋まらない」ことをまさに身をもって痛感させられた。
そんな体験はその前も後も何度かしている。フィジカルだけではどれだけ鍛えても自分より体格のいい人間には敵わない。そこで思ったのだ。塩田師のような合気の術を自分も使えるようになったらと。古来より日本に伝わる武術になんらかの得られるものがあるのではないかと思ったのだ。そんな折、中学時代の友人から、合気道を学んでいるという話を聞かされた。それが心身統一合氣道だったのである。

合気道

そこで指導しているYという先生の技がすごいと言うので、大きな関心をもって、道場を訊ねた。今から15年ぐらい前の話である。そして、そのY先生の技は確かに素晴らしかった。塩田師の合気が呼吸力、中心力を用いたスピードとタイミングの動きであるのに対して、心身統一合氣道では「氣の原理(心が身体を動かす)、基本となる姿勢・動作・呼吸」が基本であった。その中の一つが「重みを下」に持ってくるという意識。どういうことをするかというと、立っている相手の両脇に手を入れて持ち上げようとする。通常なら、これで簡単に持ち上がるのだ。しかし、この重みは下をされると、不思議なことにズッシリと重くなって、持ち上がらない。驚かされたのは、Y先生の両脇を二人の門下生が左右から手を入れて持ち上げようとしても、上がらないのである。不思議な現象はさらに体験した。「自分の手から氣が出ていると思ってください」と言われ、それを意識して片手を差し出すと、その手にY先生が同じように片手を触れる。するとなんと、接着剤でくっついたかのごとく引っ張られるのだ!
「氣の原理、それに伴う心身の統一を図れば、こういうこともできるようになるんですよ」と言われた。ちなみに心身統一合氣道では、四大原則というものがあり、その一つが「臍下の一点に心をしずめ統一する」、二つ目が「全身の力を完全に抜く」、三つ目が「身体の総ての部分の重みをその最下部におく(前述の重みは下)」、四つ目が「氣を出す」。そして、それらの身体と意識の操作は自分たちがやっている格闘技にも応用が効くと言う。当時、指導者の立場でもあった自分はそれを選手たちにも伝えられたらとの思いがわいた。そして、Y先生の技のすごさを実体験した自分はその場で入門した。
残念ながら、仕事とキックの指導の隙間を縫って稽古に通うのはなかなか都合がつかず、数か月で断念したのだが、ここでまた、様々な体験をしたのである。例の重みは下で相手の両脇に手を入れて持ち上げる稽古だ。この稽古をすると、他の門下の方はそれができているのに、自分が相手を持ち上げようとすると、上がってしまうのである。この道場にはもう一人の指導員もみえた。そこである日、頼んだのだ。「重みは下で持ちあげさせてもらえませんか」と。快く受けてくれた指導員だったが…なんと、この方も持ち上がってしまった。他の門下生が見る中である。面目もあったと思う。「もう一度、やってみてください」と言われ、持ち上げようとしたら、それでも「上がる」という確信があった。だが、ここでそれをしたら、申し訳ないという思いから、持ち上がらない素振りを見せた。

Y先生とこの指導員の力量の差はどこにあるのだろうかと首をひねったものである。さらに言うと、Y先生は当時、三段だったと思うが、他の道場から指導に来る四段の指導員にも合気のすごさは感じられなかった。不思議でならなかった自分はある日、Y先生を食事に誘い、そのあたりの事実を正直に話したのである。そして、先生が合気をつかめたのは何がきっかけでしたか?と訊ねたところ、「座禅による呼吸法と杖(心身統一合氣道では、この型稽古も行われていた)の稽古ですね」という答が返ってきた。Y先生のような術を使えるようになったらとの思いから、早速、その日の夜から座禅で呼吸をすること、杖での型稽古を始めた。それは一年ぐらい続いたのだが、自分には才がなかったのか、Y先生のような身体操作には少しも近づくことはできなかった。「やはり、一部の天才にしか合気は使えないのか」という思いになったものである。
※注:Y先生は今も合気道の指導に当たっており、そこには世界で活躍するキックボクサーも学んでいる。

武道、格闘技をやっている者なら、誰もが思うことだ。「体格差を問題にしない、技量を身につけたい」と。そして、どれだけ鍛えてはしても、年齢による衰えはくる。スピードも体力も反射神経も少しずつ、衰えてくるのだ。そこで誰もが思う。「フィジカルだけではない身体操作による技術を身につけることはできないものか」と。かくいう自分もそうだった。合気道そのものには特別な関心はなかったが、筋力を超える体の使い方、それを会得したいと思っていたのである。
そしてその数年後、たまたま寄った本屋で一冊の本が目に止まった。書籍名もここに記載しておこう。「炭粉良三著・合気解明(海鳴社出版)」である。その裏表紙には、こんなフレーズが書いてあった。
「合気だ極意だと言っている奴らが一度でも我々のステージに上がってきたことがあったか!?口先だけなら何とでも言えるのだ!」と。ちなみに筆者の炭粉氏は某フルコンタクト空手の三段。空手の稽古と後進の指導にあたりながら、毎日、砂袋をローキックで一百回蹴る鍛錬をしている剛の者である。この炭粉氏のローキックを組手でくらった、ある空手家が「あたかも鉄バットで蹴られたような衝撃があった」と語っていたが、そのローキックは実際にバット三本をへし折る威力を持っているのだ。
その炭粉氏の本の始めには、こう書いてある。
「合気という極意を使って、屈強な者どもをポンポン投げる達人がいると聞いたが、それは型の中にある約束事の稽古でのことであろう。もし、本当に強いなら、柔道の試合に出てくるはずだし、出てきたらそのときに柔道の乱取りや我々、フルコンタクト空手の自由組手がどれほど甘くないものかと分かるはずだ」
そう思っていた炭粉氏だが、数年後、ある空手界の重鎮である先生から「合気は実在する。自分の高弟が合気の達人に信じられない技で翻弄されるのをこの目で見た」という話を聞く。以来、炭粉氏は合気への関心を抱いていくのである。

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