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武道空手と実践的な護身の術を目指す

自分の弱さを克服するためにフルコンタクト空手の道場に入門する

自分の武道仲間に高萩英樹さん(以降、敬称略)という人がいる。彼とは自分が学んでいた氣空術で知り合った。氣空術は合気系柔術であり、始めた当初は自分以外に本格的に打撃系格闘技なり、武道をやってきた人間はきわめて少なかっただけに、高萩とは初めて電話して以来、いろいろな意味で意気投合して、互いに「拳友」と言い合うような仲になった。その高萩の武歴は十四歳から始まった。今の偉丈夫な彼を見ると、信じられないような話だが、幼少の頃は大人しい性格で引っ込み思案であり、強烈ないじめの被害者であったそうだ。こういう場合、男なら二つの選択肢を取ると思う。強くなろうとするか、弱いままの自分を受け入れる(これも悪いことではない。人にはそれぞれの生き方があるのだから)

高萩は前者のタイプだった。「もう、弱いままではいたくない、誰よりも強くなりたい」そう思ったのである。強く決意した彼は、著名なフルコンタクト空手の道場に入門した。もともと、センスも身体能力も高かったのであろう。それに熱心な稽古が実り、彼の実力はみるみるうちに上達した。ちなみに高萩の育った場は漁師町。気の荒い地域性である。格闘技や武道をやっている者は大抵、その腕を試したくなるものだが、高萩もそうだった。ストリートファイトも数多く体験した。これは自分の意見に過ぎないが、いくら実戦的とはいえ、道場稽古と実戦とは違う。多勢に無勢もあるし、不意打ちもある、相手が武器を持っていることだってある。高萩はそんな場面に遭遇する度に揉まれ、次第に度胸も備わっていった。武道・武術、格闘技、技術面もさることながら、このような精神的にタフな人間は次第に頭角を現すものだ。やがて、彼は有段者となり、自分でも「強くなった!」と自信をつけたのだが、彼が学んでいた空手の組手には顔面への攻撃は認められていなかった。それでは物足りなかった彼は「顔面攻撃のテクニックも身につけたい」と、キックボクシングのジムに入門する。

キックボクシングジムで打撃の洗礼を受けて…

その当時のことを高萩はこう語ってくれた。

「空手では強かったから、自信があったんです。でも、キックボクシングのジムでスパーリングをやったら、ボコボコにやられました。顔面の有る無しで、こうも間合いが違うものかと思いました」

それから、連日のようにジムに通った。毎日が猛練習である。キックのオフェンス、ディフェンスも徹底的に練習し、最終的にそのジムの一番強い男をスパーで倒すまでになる。「俺は強い!」若き情熱と闘志がたぎる年頃だ。体格も体力にも恵まれている、誰よりも強いという気持ちが持ち前の度胸をさらに上塗りした。その頃を振り返って、高萩は言う。「傲慢なまでに自信を持っていました」と。しかし、そんな高萩の鼻っ柱をへし折るような出来事があった。それはある空手家との出会いだった。

桁外れの強さを誇る空手の先生との出会い

「その先生は我流の空手をされていたのですが、噂を聞くと『本当に強い!』と言うんですね。フルコンタクト空手やキックボクサーなど、打撃系格闘技のつわもの達が秘密裏に通う道場だと…。なら、その強さを実際に体験しようじゃないかと、キックをやっていた知人と訊ねてみたんです。で、稽古が始まった時、自分を含めてそこにいる人に、先生がこう言ったんです。『みんな、空手の心得があるんでしょ。なら、六人全員まとめてかかっておいで。怪我はさせないから、大丈夫』って」

先生の言葉を聞いた高萩は全力で打ちかかった。その瞬間である。打ち込んだか否やの前に投げられ、道場に叩きつけられてしまった!高萩のみならず、他の者も同様だった。己の強さに自信満々だった高萩は驚愕したと言う。即座にその場で入門を決意した。

「投げられたのは、合気技とかではなく、物理的な力でふっ飛ばされたんです。それはもう、圧倒的なパワーでした。なにしろ、その先生の前腕、太かった私の腕より、二回り以上も太かったぐらいで…」

この先生との出会いが高萩の空手観を変えた。その空手道場での実際の攻防はスーパーセーフ着用の顔面あり、眼突きあり、金的あり(ノーファウルカップ着用)の禁じ手なし。寝技状態で相手の喉笛を突くなどの練習も行う。コンセプトは「最短で急所を攻撃する」という過激なまでの内容である。さらに当時、フルコンタクト空手では珍しかった「さばき」も真っ先に取り入れられ、ヌンチャクやサイをはじめとする武器術まで稽古に導入されていた。「今、思うと、殺人術を習っているようなものでした」と高萩は語る。

猛稽古が実を結び、さらに強くなっていった高萩

その練習内容は半端でなく、相当にハードだったそうだ。三十六種の手技、三十六種の蹴り技のシャドーをそれぞれ十回。その後、手技の後は拳立て伏せを各十回、蹴り技の後はスクワットを各十回行う。トータル三百六十回の拳立てと、三百六十回のスクワットを毎回行わねばならない。なんと、しかもこれが準備運動である。これだけで初めの頃は全身、ガタガタになったらしい。また、サンドバッグの中身は何と、海砂!(通常は布切れ)。それを泣きながら打ち、蹴りまくった。過酷な練習だったが、高萩はめげることなく、毎日のように稽古に通った。「ここなら、本当に強くなれる」という一心だったのである。ちなみに彼は「競技的な大会には一切、興味がなかった」と言う。高萩が目指したのはあくまでも実戦に活かせる、武術的な空手だったのだ。「化け物みたいに強い」という師と「強さだけを求める」という弟子。まさに、竜虎のごとき師弟関係である。

高萩は道場内でも次第に頭角を現していく。そんな彼に先生も期待をしていた。しかし、まだ若い彼に「道場を背負って立つ」までの気持ちは起こらない。それよりも将来は東京、いや、世界で働きたいと思っていたからだ。更にだ。その道場が大手の某空手連盟に加入する事が決まり、下段蹴りが禁じられたことも「武術空手」を目指す高萩の熱意を下げた。下段蹴り、つまり、ローキックはフルコンタクト空手家がムエタイに挑んで以来、その威力と技の有効性を痛感し、取り入れられるようになったのだが、それが禁じ手になったのでは話にならない。なにせ、それまでは眼突きあり、金的ありの禁じ手なしの組手をやっていた道場である。寝た状態から相手の喉笛を突くなどの練習も行っていたのだから、あくまで高萩は大会用の稽古より、実戦に通用する稽古と技を求めていたのである。その後、彼は先生から学んだ空手をベースに、自らの打撃武術を進化させていくようになった(このことについては後述)。そしてこの当時から、高萩の頭には「合気」に対する関心が目覚めていたのである。

合気とは何か…。それについては、この記事でも何度か書いてきたが、改めて書く。それは筋力やスピードではない、身体操作で相手の攻撃をいなす術である。ただ、この合気という定義が曖昧模糊としており、指導する先生によって、このあたりは不明確だ。ある人は相手と対立するのではなく、相手が想定したよりわずかに早く接触していくと言い、ある人は相手の無意識状態に技をかけることで大勢を崩し、回転と押し・引きで相手を投げると言う。また、ある人は相手の呼吸を読み、自らの呼吸法も用いて技をかけるとも言う。自分が学んだ合気は、かすかな皮膚接触で相手の攻撃を包み込むかのように自然体でかける技であった。

話が少しずれた。高萩は、その合気を自らの武術に取り入れたいと考えたのである。この続きは次回へ。

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