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「アイキモード」と呼ぶ「無念無想の境地」 高萩英樹さん3

合気にかからない、感じないのに悩まされた

一度は合気を体感できたものの、それ以降は一切、誰の合気技にもかからなかったと言う高萩。これには苦悩したと言う。基本中の基本である「結び」すら、実感がないと言うのである。

「これでは合気習得など永遠の夢ではないかと時折絶望が顔を覗かせました。しかし、合気をこの身で体験したい。身を持って味わいたいとの悲痛な祈りは、多くの予定調和を持ってここに実現したのです。畑村会長をはじめ、●●さん(自分のこと)、親しくなった門下の仲間が様々なアドバイスを下さいました。まるで自分の事の様に、当方に合気を体験させたい、習得の方法を教えたいとの一念から、細やかな直接指導をして頂きました。稽古生同士での自主稽古も熱心に行いました」

「●●さん(自分のこと)からは通信教育の如く、丁寧に細かく“感覚”について解説や激励を頂いていました。皆様の優しさのお蔭で多くの発見や気付きを得る事ができました。そんな皆様の思いやりが結実したが故の奇蹟。私は武術仲間のSさんと稽古しながら感動していました。そして、こう感じたのです。今なら、きっと今なら、人差し指合気上げができる!と。傍にいたSさんに声をかけました。

『下さん、全力で握って下さい!今です。きっと今ならいけます!』…………ボキッ! 鈍い音がしました。かなり強烈に痛かったものの、何とか人差し指での合気上げをすることができました!」

人一倍、合気探求に熱心な高萩はその後、稽古仲間とともに自主稽古をしている際、以前、こちらのトピックス記事でも書いた、アイキモードをも体感することができた。その時の高萩が体感した様子をここに書こう。

保江邦夫氏の冠光寺流も学ぶ総合格闘技を修行してきたSとの稽古

数日後の事だ。突然見知らぬ番号から、高萩の携帯電話に着信があった。普通であれば非登録の番号からの電話には出ない主義なのだが、何故か直感的にこの電話には出なければならないと感じ、ついつい電話を取ってしまった。電話をかけてきた男、名前をSと言う。山形県からわざわざ上京して、氣空術の東京支部稽古に参加している男だ。普段は実戦総合格闘技を修業する男である。後から知ったのだが、保江邦夫氏の冠光寺流も学ぶ屈強な武道家であった。電話での要件はシンプルだった。合気を感じる事ができない高萩に、S自ら学び、掴んだ世界を見せたいと言う。高萩は山形から遠征して来るこの男に興味をもった。そして、自主稽古を共にする事を約束した。

稽古当日。幾度かSは合気技を高萩合気技をかけてみるが、やはりかからない。彼は首をかしげながらも、何度も何度も技を試すのだ。

「高萩さん、重心が下過ぎますね。こりゃ重いわ!」「う~ん。確かに合気が抜けますね」

やはり合気を体験する事は無理かと思ったものの、彼は諦める様子を見せない。そればかりか、世にも恐ろしい提案を持ちかけてくるのだった。総合格闘技を学ぶ彼の肉体はかなりゴツイ。腕は一般男子の大腿部程の太さを有している。また、体格もまるでドラム缶の様だ。下顎部には無精ひげが生えていて、一見、動物に例えるなら獰猛なヒグマの様な男なのである。だが、武を求め続けてきたその肉体に包まれた奥底には、慈愛にあふれた見事な男っぷりが見え隠れする。

そのSが高萩にこんなことを言った。「高さん、違うアプローチをしてみましょう。俺をもっと愛して下さい。そして強く抱きしめて!」
彼の提案に高萩は絶句し耳を疑ったと言う。(おいおい!俺にそっちの趣味は無いぞ!)そう思ったのである。

Sは笑いながら、こう言ったそうだ。
「ち、違いますよ。冠光寺流の愛魂を試したいのですよ。私にも全くそんな趣味はありません」

彼曰く、冠光寺流では愛情を持って相手の魂を包み込む事によって、相手を無力化できる「心法」なるものがあると言う。心を繋げる事によって、心法が発動し合気現象が起こると言うのだ。
渋々ながら、高萩は彼の提案を受け入れた。先ずはSがお手本を見せると言う。高萩は全身に力をいれて前屈立ちに構えた。Sは目を閉じ、笑顔を見せ、そっと高萩に寄り添うように立った。下村の脱力しきった掌が高萩の肩に置かれた。
そして…。

「その途端、私は悲鳴に似た声を上げて床に転がされたんです。な、何だ、これは?一体何が起こったのだ?という感じでした。Sは満面の笑みを浮かべながら、私を眼下に収めていました」
「もう一本!」
高萩はその感覚が不思議でたまらず、何度もその現象を堪能させてもらった。
「高さん、凄く柔らかいですよ。今なら高さんもできますよ!」
「そうです!いいです。上手いですね!」

Sに載せられてしまった感は否めないのだが、高萩はまるで童心を取り戻したかの様に互いに冠光寺流の愛魂をかけまくった。柔らかな力が筋肉の壁をスッとすり抜けていく。そして、それにあがらう事はできないのだ。こんなもの、所詮やらせ、若しくは狐憑きというか、師弟間のみで発生する感応の世界でしかないと思い込んでいたのだが、流石に実在を認めねばなるまい。…とは言え、前述の通り、高萩は合気への耐性と言うか、合気が効きづらい身体を有している。その結び(心法の結び)を切ってしまえば、愛魂ですらも無効化できるのでは? と内心思ってはいるものの、わざわざ抵抗を生じさせて、結びを失するのが勿体無いので、それらの検証はまた別な機会に譲る事にしたと彼は語った。

「アイキモード」と呼ぶ「無念無想の境地」

ここで、高萩が自ら体験したアイキモードについて、書くことにしよう。彼曰く、合気の世界にはもう一つ別な世界があると言う。

合気修行者が「アイキモード」と呼ぶ「無念無想の境地」がそれである。筆舌尽くしがたい世界なのだが、高萩は自主稽古によって、幸運にもその初門に至る事ができた。一旦、アイキモードに至れば正に自在。何も思考する必要はなく、ただ触れるだけで相手は崩れ倒れていくのだ。技術を捨て、思考を捨て、自分自身すら意識に登らせることなく、全てあるがまま。水が自然に流れるように動くだけで目前の敵は悉く敵意を失っていく。例えるとするなら、正に「天上天下唯我独尊」の境地だと、高萩は語る。

古来、合気柔術の基となった剣術の世界でも「あいき」と言う言葉は使われて来た。しかしそれは合気柔術で言う所の合気とは異なり、実際の戦闘の中で避けねばならない状態を示す言葉であった。かけるべき合気と、避けるべき合気。これらの表現は一見矛盾に映る。だが、実は両者は決して矛盾してはいないと言う事を高萩は仲間との稽古を通して、それを知ったのである。

フルコンタクト空手家・炭粉氏との組手で…

同時に、自分にとっても、高萩にとっても、合気を探求する、ある先輩がいた。フルコンタクト空手を長年、鍛練し、同時に冠光寺流をも修行してきた炭粉さんという人物である。高萩はその炭粉さんから東京支部稽古が終了した飲み会の場で、突如として「高さん、組手をやらないか」と言われたのだ。一瞬、迷ったものの、お互い、武道家である。その場で真剣の打撃戦が始まった(飲み会の席で、である)。だがしかし、炭粉さんは反撃することなく、高萩の打撃を受けるだけであった。フルコンタクト空手には、“痛み稽古”と言って、相手の攻撃を鍛えぬいた体で受けるだけの一見、かなり無茶な稽古がある。炭粉さんはそれをやったのだ。

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