例え、最強の兵士になったとしても、戦争がなければ、国のために身を投じることはできない。それは大畑にとって、大きな自己否定だった。自分でそうしたのではなく、“戦争を放棄した日本”という舞台で、自身の目的を無くしてしまったのだ。26歳で「国のために死ぬ」と覚悟を決めていた大畑だが、どれだけ、レンジャーで鍛え抜こうが、それは不可能ということを実感させられたのである。目標に向けてどれだけ奮迅しても、目的を達成することはできない。それを知った彼は6年間、勤務していた自衛隊から去った。
そこからの大畑の切り替えの早さに感心する。普通なら、目標を失うと誰もが「次はどうするか」と、悩むものだ。あるいは、虚脱状態になる人もいるだろう。しかし、大畑は違った。自衛隊時代(入隊六か月)から習っていた空手に次なる焦点を当てたのである。
このあたりが、彼の凄いところだ。考えてもみてほしい。レンジャーで肉体を極限にまで追い詰めるような訓練をする。そのうえでさらに、総合格闘技の色合いが強い空手を学ぶのだ。なぜ、そこまで、強さを求めたのかを訊ねたところ、こんな答えが返ってきた。
「他の人からも言われましたよ。『なぜ、そこまでするのか?』って。あたかも修行をしているように思われたのでしょうね。修行をするなら、僧侶になればいいのに(笑)。なら、武道が好きなのかと言うと、それもまた違うのです。あくまでも私が求めていたのは、日本一の兵隊、戦士になることでした。そのための武器術をレンジャーで学び、徒手では空手の技術を体得する。戦闘のプロとしてできる全てのことを身につけることが私の目標だったのです」
即断即決とは、こういう男のことを言うのだろう。六年間、勤務した自衛隊を辞めた(正確に言うと、予備自衛官)大畑は、学んでいた空手道場、つまり、禅道会の長野支部の内弟子になった。なぜ、そうしたかと言うと、それまで大畑が目指していたのは、国を護ることだった。それを国のために富をもたらす人間になろうと意識転換したのである。“学んでいる空手を手段に、子どもたちを肉体的にも精神的にも鍛え、将来の日本を背負う人にしたい”そう考えたのだ。
内弟子について、少しだけ説明すると、会費を払って、道場に通う稽古生とは違い、その空手本部が用意する尞に寄宿し、会費をはじめとする費用が免除される。その代り、一般稽古生より厳しい規範があるほか、研修生の管理指導などもしなければならない。自分の知り合いがある空手団体の内弟子になったことがあるが、稽古も厳しかったが、体育会系の上下関係も厳しく、先輩に気を遣って、初めの頃は夜も眠れなかったそうだ。しかし、レンジャーを経験してきた大畑である。その程度のことは、一向に気にならなかったのだ。
内弟子になった大畑の稽古時間は、一日7~8時間にまで及んだ。レンジャーでは、兵士として相手を「殺す」ことが目的だった。しかし、空手に身を投じてからは「倒す」ことがその目的になったのである。将来的には、道場を開くこともこの時点で考えていたそうだ。
「そこで目指そうと決意したのが、チャンピオンでした。経験豊富な指導者が教える方が格が上がる。指導される側も信頼してくれると思ったのです」
以来、大畑は仕事よりも優先して、空手の稽古に励んだ。ほとんど、仕事もしなかったと言うから、よほど熱中したのだろう。そのメニューは朝のランニングから始まり、基本・移動稽古。さらに夜の稽古にも参加して空手漬けの日々に没頭したのだ。
「自分ができないことをひたすら、やりました」と言う大畑。厳しい稽古も彼にしてみれば、強くなるための手段であり、苦痛でもなんでもなかったのだ。やがて内弟子となって二年半後、28歳の時に彼は結婚をした。それを契機に、長野県の飯田市から神奈川県横浜市に道場を開くために引っ越し、市内に総合格闘技 空手道禅道会横浜本部を設立したのである。
2003 RF空手道選手権大会
青年男子62.5キロ以下級の部
優 勝 大畑慶高
準優勝 清水孝夫
「話は少し、前後しますが、自衛隊を辞めた直後に、チャンピオンになる目標は達成できました。禅道会の全国大会であるリアルファイティング空手道選手権大会の第二回大会で、62.5㎏以下級のチャンピオンになったのです。さらに、第四~六回大会でも日本チャンピオンとして三連覇を果たすことができました」
しかし、それは大畑にとって順調な滑り出しではなかった。それまでも彼は小さい大会では、優勝あるいは、準優勝の戦績を挙げていたのだが、ある大会で着用していたスーパーセーフがずれてしまい、視界がなくなった状態でサンドバッグ状態になったのだ。それから一週間、一日に何度も嘔吐するようになり、一時的なパンチドランカーになってしまったのである。以来、大畑は打撃恐怖症になっている自分に気付いたと言う。
このあたりの話は自分も共感できる。以前もこのトピックス記事で書いたが、伝統派の空手を学び、ある程度の実力をつけた自分はキックボクシングのジムでデビューを控えた選手とスパーリングをしたことがある。蹴りを使わない、パンチだけの攻防を初めて体験した自分は文字通り、サンドバッグ状態になった。リングのマット一面、鼻血で血だらけである。それからというもの、相手のパンチが怖くなった。大畑の言う打撃恐怖症である。ストリートファイトでは、そんな経験がなかったから、余計に応えた。
話を戻す。打撃恐怖症になった大畑は考え抜いた挙句、これは治せる!と思った。「もう一度、強い打撃をもらっても、平気だ」というショック療法しかないと考えたのである。チャンピオンを目指し、いずれは自分の道場を持とうという意識が彼の戦闘スタイルまで変えた。それ以来、第一回の大会で準優勝の快挙。のみならず、強い打撃でも倒れないという自信が打撃に対する恐怖症を拭い去った。続く第二回の大会では、念願の日本チャンピオンになる。なおかつ、自分のテーマでもあった「体格差があっても、相手に勝てるか」を「後の先=カウンター」で可能になることを自身の体で感じることもできた。
武道では、「柔よく剛を制す」という言葉がある。剛と剛だと、力の強い方が勝つが、相手の力を利用する柔の意識と技を意識することで、体の大きい相手でも勝てることを知ったのだ。それまでの大畑はファイタータイプでガンガン、前に出て戦うタイプだったが、打撃恐怖症を克服する過程で、新たな強さを会得することができたのである。そこから第三回で準優勝、第四回~六回大会で三連覇したことで、大畑は自分の強さがまぐれではないことを確信した。
やがて、大畑は念願の道場を設立した。当時、K1やプライドなどの格闘技イベントがメディアを賑わせていたこともあり、ゼロからのスタートであるにもかかわらず、入門者は次々と増え、道場経営も順風満帆なスタートになった。そんな門下生に、チャンピオンになった自分が同じように教えれば、自然とみんな強くなれると大畑は思っていた。ところが、そうはならないのである。
「自分の教え方が悪かったのもあるでしょうが、モチベーションが違うんですね。『チャンピオンになる』、『強くなる』という門下生だけでなく、『空手をやってみたかった』、『親から言われて入門した』という門下生もいて、動機はバラバラだったのです。さらに、センスのいい者は教えたことを吸収して、どんどん伸びていくのに対して、そうでない者は少ししか伸びないか、伸び悩みで、私が思っていたようにいかなかったのです。今となっては、悪いことをしたと後悔していますが、思い通りいかない彼らに『なんで、こんなことができないんだ!』と、レンジャーの教官のような厳しい指導をしていました」
レンジャーで厳しい指導を受けてきた大畑である。厳しくても精神力で耐え、這い上がることを当たり前のように思っていたのだ。ところが、空手の世界で“教える側”になると、自分がいた環境が特殊なものだったことを痛感したのだ。特に子どもたちの入会が増え、一人ひとりの違いや伸び率を見るにつけ、「自分のようにチャンピオンになるだけが道じゃないのだ」と改めて気付かされたのである。
禅道会横浜支部長の大畑慶高が本を執筆!
2020年11月19日に出版されます!
発行:白夜書房
四六判 192ページ
定価 1,500円+税
ISBN 9784864942904
陸上自衛隊レンジャー部隊に所属した経験と、禅道会で積み重ねた鍛錬と大会の実績、そして会社経営者としての見地から、昨日の自分より強くなる方法を解説した本です。