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杉山しずかの格闘技人生

杉山しずか

東海大学進学後に、禅道会に入門

格闘技の世界、今や女子選手の活躍も目覚ましいものがあるが、その中でも注目を浴びているのが禅道会の杉山しずか選手。アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク出身で、今はリバーサルジム新宿Me,Weに所属している。試合の動画も配信されているが、強い!の一言である。その杉山しずかに自らの格闘技人生を語ってもらった。

「小中高とバレーボールをしていました。全国的に強いと言われるような部活ではなかったものの、それなりに一生懸命やっていたので辞めた後は燃え尽き症候群になってしまったんですね。禅道会に入門した理由はいろいろあるのですが、まずは進学した東海大学がオリンピックに出場して活躍するアスリートもおり、彼らの影響を受けて自分も何かをしたいと思っていたから。もう一つは将来、体育の教員になろうと思っていたので、『武道に触れておけば有利かも』という気持ちもあって、禅道会に入門しました」

しかし、バレーボールは長年続けていたものの、武道は初めてである。そのあたりの違和感はなかったかとの問いに、体は強い方なので、向いているなと思ったそうだ。ちなみに、杉山が入門したのは、禅道会の横浜支部。以前、トピックスで紹介した、大畑慶高の支部である。 その当時の思い出話を語ってもらった。

「大畑先生は少し怖いという印象でした。はじめは直接指導を受けることはできないくらい近付き難いオーラを感じましたが、それ以上に稽古中の動きや身の捌きが他の黒帯の先輩とはもちろん違って、素人ながらにも驚きと尊敬を感じました」

指導では、基本を大切に教えてもらい、その時のアドバイスは今になって理解できて役立っていることもあるそうだ。また、要所要所頭に残る言葉も数多くあると言う。

「技術面もですが、気持ちの面や普段の会話でも導いてくださっていました」

いずれにしても、杉山にとっての大畑の存在は大きい。むろん、感謝と尊敬のという意味である。杉山は禅道会主催のリアルファイティング空手道選手権大会で二回、優勝しているが、大会には大畑がみんなを車で連れて行ってくれたそうだ。

「朝早くから都内だけでなく、長野県などにも長い距離を運転してくださりました。『気持ちだぞー』といつも声をかけていただいていました。試合をしていても支部長の声はよく聞こえて色々なアドバイスをいただいていたと思います」

ここで、禅道会入門初期の杉山の話に戻そう。禅道会はアマチュアの大会に出なければ、昇級ができない。当然のごとく、杉山も大会には出場していたと言う。ちょうどその頃、禅道会には女性格闘家としてもトップクラスの実力を誇る瀧本美咲選手が稽古をしており、その影響力も強かったのである。しかし、当時はあくまでも体育の教員になることが目的であったので、上達は遅かったそうだ。それでも、そんな杉山の活躍ぶりに注目したJEWELSから声をかけられた。

JEWELSの旗揚げ興行でプロデビュー

杉山しずか

当時を振り返って、杉山はこう話す。

「禅道会の大会などで戦っている姿を見た大会関係者の方が声をかけてくださったんです。禅道会では総合格闘技も少し練習していましたが、実践経験はほぼゼロ。そんな中で試合に出たのに勝つことができました。ひたすら楽しかったですね。自分が輝ける場所が見つかった、とすごく嬉しかったです」

2009年のことである。結果はチョークスリーパーで勝利。しかし、本人してみれば嬉しいという一方で、「突然、プロのリングに上げられた」という感じだったらしい。そう思っても仕方がない。2005年ぐらいまでは教員もやっていたから、プロ選手として専業はできない。勝利して総合格闘技の世界から注目されたとはいえ、腑に落ちるものではなかったのであろう。杉山曰く「まだその時点ではとトップレベルの選手と自分を比べると、技量の差が明らかだった。だからその未熟を向上させるために、やれるだけやっていこうと思っていました。かといって、教員の仕事も楽しかったで、これも辞める気にはなれなかったのです」

その後、杉山は2011年にオーストラリアへの武者修行もした。ここでグラッブリングと寝技と柔術の大会に出場しながら、技のレパートリーを増やした。一年間の滞在だったが、アルバイトや語学学校に通いながらも、練習に取り組むことができたそうだ。

「格闘技に言葉の壁はなかったです。アスリート同士、同じ技を練習し、共有できることに喜びを感じていました。練習以外の体験も新鮮で楽しむことができました」と彼女は語る。再び帰国してからは教員の仕事に戻って、選手としてダブルワークでやっていた。一筋に絞りたいところだが、それはそれで良かったそうだ。日中は生徒たちを主役に仕事をこなし、夕方からは自分が主役で練習をする。しかし、いつまでもダブルワークをやっていたら、それ以上のレベルアップは望めない。年齢的にも27歳頃になった時に非常勤の教員ではなく、正規の教員として働くか、それともプロ選手としてリングに身を投じるかを考えた時に、自分の体を使ってやってみたいという結論が導き出されたのである。

一つ一つの試合を大切にしていきたい

動画でその強さに唖然としたと書いたが、本人に得意の必勝バターンはと聞いたところ、首相撲と四組みができるので、組んだ時に自信はあるとのことだった。総合格闘家で打撃と組みのつなぎ目の部分の攻撃が得意というのは確かに有利だ。自分の攻撃にも自信が持てるだろう。ちなみに、杉山は試合実績やタイトル獲得などに囚われはないらしい。勝敗にもこだわりはないと言う。ちなみに、JEWELSデビュー戦で五連勝した後で、初の黒星を喫したが、その時の心境も悔しいという思いは一切なかった。

「できることはやってきた試合内容なので、悔いはありません。言い訳を言うつもりはありませんが、あの時は練習の怪我で首が痛くて動けない状態で戦っていました。周囲からはもてはやされていましたが、連勝も特にしていなかったから、ショックも感じませんでした」そうは言うものの、トータルで見た試合実績は優れている。一試合、一試合を大切に戦っていきたいという気持ちが戦績にも表れているのであろう。

妊娠・出産しても選手は諦めない

杉山しずか

その後、杉山は同じく格闘家の中村K太郎選手と結婚。2015年には第一子の長男を出産する。妊娠がわかったときは、複雑な心境になったらしい。大切な命を授かったことそのものは、本人曰く「すごく幸せ。ただ、格闘家としてのキャリアがストップしてしまうのではないかという思いになりました」だから、妊娠中もトレーニングしたそうだ。それでも、妊娠、出産となると、現役選手を続けるのはどうしても難しく感じられる。「人から、『両立は簡単じゃない、引退するんでしょう?』などと言われました。どうにもできないもどかしさになったこともありましたが、『周囲がどう言おうと、自分はできることをやっていく』という意識の切り替えもできました」

つまり、彼女にとって、難しいのでは?という意見は原動力になったのである。簡単じゃないことは杉山本人が人一倍、分かっている。だからこそ、いろいろな意見を言ってくる人に対しては、「これからのわたしを見ていてください」という気持ちでやっていたそうだ。ちなみに、家族は旦那さんを含め、現役を続けることに何も言わなかった。自由にしていいという感じだったのが杉山には幸いだった。

湯島に格闘技ジム、UNITED GYM TOKYOを立ち上げる

杉山しずか

やがて、長男は無事に誕生した。第一子誕生である。母として嬉しくないはずがない。その一方で、体力的には唖然とする衰えがあった。

「体幹がなくなっているという感じ。体力も落ちるし、筋力も落ちる。ここまで衰えるものかと思いました。ちょうどその頃、RIZINが始まっており、早く復帰したいというモチベーションになっていました」

ちなみに、杉山の話によると海外では出産後、半年で試合をした選手がいるらしい。それを聞いた彼女は「わたしもいつでも戦える体づくりをしておこう」と、2ヵ月で練習を再開した。ちなみに、長男は託児所で預かってもらっていたものの、ジムとの距離が離れているため、苦労したと言う。時には、ジムに連れて行き、マットの上に寝かせて練習することもあったそうだ。その後、保育園が見つかって練習に思う存分打ち込めるようになったそうだが、練習に賭ける意気込みのほどをこんな逸話からも感じさせられた。

その杉山は、ご主人の中村K太郎、そして宮澤元樹と共に湯島に格闘技ジム、UNITED GYM TOKYOを今年の七月に立ち上げた。「人と人が触れ合う場所なので、性別や言語、年齢、仕事という枠を越えて格闘技という目的を共有してほしいですね。新しいコミュニティの場になれたらいいなと思っています。どんな人も格闘技の魅力に夢中になれるような場にしたいというのがわたしたちの望み。格闘技を楽しみながら様々な世代が交流できる場になったら、嬉しいですね」

最後「これからの目標は?」と訊ねたことへの回答がこちら。
「試合で自分を見せるというのもそうだけど、これからの格闘技界を盛り上げていく使命感もあります。そこで、自分という存在がどうアプローチしていくかを考えながら、自分を磨いていきたいです」

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