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禅道会 下東悠馬の武道人生

高校時代から打撃系格闘技を学ぶ

今回、紹介するのは禅道会・保土ヶ谷の下東悠馬。千葉県出身で1984年6月生まれの40歳である。学生時代、続けていたスポーツは小学校の時はミニバスケット。高校の時から、部活で伝統派の空手を始めたと言う。練習を積むにつれ、下東の胸中には「もっと、実戦性を追求したい、自己研究を深めたい」という思いが沸き上がってきた。実戦力を高めるには、顔面への攻撃がOKでなければならない。そう思った下東はボクシング、グローブ空手、そしてキックボクシングまで学び、練習するようになった。

「競技として真剣にやっていたのはグローブ空手です。14オンスのグローブを着けてパンチと蹴りありの顔面ルール。当時はいろいろな格闘技をやりながら、様々な先生から教えを学んでいました。漫画の空手馬鹿一代の影響もありましたね。とにかく、強くなるにはどう練習すればいいかという自己研究としての学びだったのです。そのような経験を積むにつれ、実戦ということを考えると、顔面ありを捨てることはできませんでした」

そのような思いで格闘技に邁進していた下東は、キックボクシングのプロ選手としてデビュー。戦歴を重ねるうちに、ランカーにもなった。この頃のエピソードになるが、下東はキックボクシング界では知名度の高かった立嶋篤史選手と二回にわたって試合をしている。一試合目はドロー。悔しくて半泣きで立嶋に「ありがとうございます」と言ったら、「ドローで泣くな、勝って泣け」と言われそうだ。

 

キックボクサーでありながらも、武道としてとらえていた

そんな彼が禅道会に入門したのは2023年、今から一年前のことだ。このトピックス記事で紹介するのは、禅道会でそれなりの経歴を積んだ選手ばかりであった。そういう意味では下東を記事として取り上げるのは異例である。しかし、それには理由がある。その理由の一つに彼はキックボクシング現役時代から、「自分は総合格闘技のMMAの方が向いているのではないか」と思っていたからだ。

「首相撲が得意だったのです。パンチや蹴りという打撃技も好きでしたが、中でも得意としていたのが組んでからの膝蹴りでした。そういうことからも組み技が多彩なMMAに関心が向いていたのです」 

二つ目の理由は下東の考え方だ。彼はプロのキックボクサーでありながらも、気持ちは格闘技と言うより、武道というとらえ方をしていたのである。格闘技はどちらかと言うと、競技としての特性が強い。当然、そこでは勝敗というものが明確にあり、勝利を続けた者がチャンピオンという座をつかみとることができる。一方の武道も競技はある。勝敗も実力の判定基準になるし、勝利を重ねた者は優勝の座を獲得することになる。このあたりは格闘技も武道も同じである。では何が違うかと言われると、線引きが難しいのだが、武道には空手も柔道も剣道もいずれも「道」という名がついている。つまり、その道を探求し続けることがいずれの武道の目的であるのだ。競技者としての時期だけが武道ではない。選手を引退してからも、技や体の使い方、精神の用い方など、あらゆる面から洞察していくのだ。それを簡単に表現すれば、武道は精神面を追求するものと言えるかもしれない。つまり、関わっている間はずっと、その道の探求者であるのだ。下東の言う武道とはそのようなものと言えるだろう。

 

横浜市に禅道会保土ヶ谷を開設

その下東が禅道会の小沢代表と出会ったのが一年前の2023年のことだった。この時は仕事での出会いだったのだが、彼が今までの経歴を話したところ、小沢代表から「良かったら禅道会の同好会をやってみないか」と誘われたのだ。「自分もやりたかったので、躊躇はなかった」と下東は言う。また、その初めての出会いでは現在、小金井支部長の西川享助もいた。当時を振り返りながら、下東はこんなことを語った。

「小沢先生も西川先生もその話は知的な内容ばかりでした。自分が考える武道的な考え方・精神性を重んじる考え方をより論理的に語っていただけるので、禅道会という武道に魅力を感じました」

下東が惹かれたのはそれだけではない。禅道会が打撃あり、組み技あり、寝技ありの総合格闘技ということも自分の中でマッチするものがあったのである。下東の話は続く。

「同好会の話がある前に小沢先生から大阪でMMAの大会があるから出てみないかと言われたんです。でも、総合格闘技の試合は一回もやったことがなかったんですね。マウントの返しとか腕十字の外し方も知らない、基本中の基本であるエビも知らなかった。そこで、横浜支部の大畑先生の道場にも頼み込んで練習に行ったり、禅道会のプロ選手の練習にも参加しました。一カ月半ぐらい練習して、何とか総合格闘技の戦いにも対応できるかと思っていたのですが、結果的にその試合は流れてしまいました」

その後、下東は禅道会主催のリアルファイト空手・マスタークラスの大会に出場して、ベスト4に入ることかできた。準決勝まで勝ち進んで、優勝を目指していたのだが、対戦相手の柔術のエキスパートには敵わず、寝技に持ち込まれて負けてしまったのである。話を同好会のことに戻そう。下東は横浜市にある保土ヶ谷スポーツセンターという場所を見つけて、ここで禅道会保土ヶ谷同好会という名称で道場を始めた。設立してまだ一年である。門下生は下東を含めてまだ、三名しかいない。

 

少数のディープユーザーを育て、試合に出場させたい

設立一年の禅道会保土ヶ谷同好会のことを書こう。通常は道場を経営していくために、入門者の応募をかけ、練習生を増やしていくものである。しかし、下東のやり方は違った。

「沢山のライトユーザーを育てるより、少数のディープユーザーを育てたいのです。一時、誰もが練習できるフィットネス系のキックボクシングを指導していたこともありました。しかし、現在の自分の想いは違います。一人のディープユーザーをみっちり育てたいのです。誰から見ても『この選手は強い!』と思わせるようなエキスパートを格闘技界に送り出したいし、貢献したいと思っています」

下東のそんな想いに応えるかのように猪股翼という男が入門した。若手で格闘技経験はまったくの未経験なのだが、天性の能力に恵まれているのか、指導されたことは乾いた砂が水を吸収するかのごとく自分の技にしていく。出稽古先のパンクラスでは“最強素人”と呼ばれるぐらいの実力の持ち主なのである。猪股選手が力をつけていくに従い、下東にとっても恵まれた練習相手になった。しかし、今の時点では練習相手は少数なので、限られてしまう。そこで出稽古先は平信一選手が練習しているパンクラス、現役のプロ選手として活躍しているルイス選手の禅道会に定期的に赴いているのだ。

猪股翼選手
猪股翼選手

「また、禅道会横浜支部の鷲山指導員には柔術系の技をはじめ、打撃系の格闘技もこと細かく指導していただいています。いずれにしても練習仲間のみなさんから、一人ひとり親切に教えていただいているのでどれだけ感謝していいか分からないぐらいです」

下東が感じる、禅道会の良さについても話を聞いてみた。

「選択できる戦術が多いので、さまざまな戦略で試合を組み立てられることがいいですね。この時はこう戦い、この時は違う技で戦えるというように攻撃の範囲が広いのです。シミュレーションしながら練習を繰り返し、戦えるステージを広げていけるのも禅道会の良さ。打撃の肉弾戦になっても、寝技に持ち込めばいいですし。ちなみに、自分は現在、40歳ですが、そういう意味で安全で長続きできるグラップリングの戦いです。キックボクシングは25戦ぐらいやってきましたが、総合格闘技の方が年齢的にも長く続けられると思います。また、武道・格闘技とは違う話ですが、別名義のフォロワーが増えてきました。本名での活動をしようと思ったのは、とある人に生きている事だけは足音を残そうと思ったからです」

多様な思いと向き合いながらも体が続く限り、練習や実際の試合を通して禅道イズムを継承したいというのが下東の想い。それはきっと、果たすことができる。真摯な彼の話からそう実感させられた。

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