武道を学ぶ者にとって、年齢に関係なく技の向上を図れるということは大きな魅力だと思う。そこにこそ、武道の醍醐味があるわけだが、昨今は年長者でも大会に出場し、活躍する者も増えてきた。今回、紹介する禅道会・野村剛もその一人だ。野村は1967年生まれの57歳。出身は三重県で父の転勤で東京都練馬区に移り、その後、野村が小学校四年生の時にまた転勤で、今度はベルギーのブリュッセルに移住することになった。小学生でいきなりの海外である。勉強や友だち関係はどのようだったのだろう。
「初めの頃は語学力もないので、まさにいきなりの異文化体験でした。でも、子どもなりに何とかしたいという気持ちがあり、言語も一生懸命勉強して、次第に現地の子どもたちと一緒に遊ぶようになりました。大人も子どもフレンドリーな人が多かったので溶け込むのは早かったですね。日本にいた頃と何ら変わりなく、生活できるようになりました」
そんな野村が最初に武道を学んだのが、柔道と古流の柔術だった。自宅のすぐそばにある道場で、柔道と柔術を日替わりでやっていたのである。海外で生活しながらも日本伝統の武道を学びたかった野村は小学校六年生から中学校の二年生の三年間、熱心に稽古をしていた。ベルギーには中学三年まで滞在し、高校受験のタイミングで日本に帰国することになった。そして、高校時代はフルコンタクト空手を一年半ほど学び、その後、早稲田大学法学部に進学。その頃、歯の矯正を始めたため、空手は辞めることにした。矯正中の歯に当たるリスクを考えたためである。しかし、それでも野村の武道への探求心は収まらなかった。“できなかったら、できることをすればいい”―そう考えた彼は大学の同好会で行われている簡化二十四式太極拳に入部することになった。
「直接打撃の無い、型だけの武術でした。これは二年ぐらいやっていました。その後、大学を卒業してから仕事の勉強が忙しかったこと、また結婚して子育てで時間をとられていたことから、武道から離れていました。それでも一人でできることをしたいと太気拳の島田道男先生のビデオを見ながら、練り・這いなどの鍛練をやっていました。この時の体の使い方は今でも体に染みついていて、禅道会でも『腰を落としすぎ』と注意されています」
野村が結婚したのは37歳の時。上は男の子、下は女の子の二人の子どもを持つ父親になった。格闘技や武道から遠ざかる年月だったが、それでもやりたいという気持ちはずっとあったと言う。しかし、前述したように仕事も多忙で年齢のことも考えて諦めていたのだ。ちょうどその頃、長男が「友だちが空手をやっているので自分もやりたい」と言ってきた。自らが武道への関心を持ち続けているだけに、我が子の想いは実現させたい。早速、フルコンタクト空手の道場に入門させた。それが野村の転換期になったのである。
「子どもが大会に出るようになった時、応援に行ったら見た目、自分より年齢が上のように見える人が活躍しているのを見たんです。その時からですね『自分はなぜやっていないんだろう』という焦り・罪悪感のような気持ちを感じたのは」
いてもたってもいられなくなった野村は再び、武道を始めようという気持ちになった。ただ、どの道場・武道で学ぶかについては彼なりのこだわりがあった。一つは顔面への攻撃を認めていること。これフルコンタクト空手をやっていたからそれがないのは不自然だと思っていた。近い間合いで殴り合いをしているにも関わらず、顔面への打撃が認められないのはおかしいと思っていたのである。
「高校時代に通っていたフルコンタクト空手の道場は稽古法も斬新で顔面ありの稽古はしていたんです。さらに、自分としてはつかみありの闘いもいいと思っていたのでやるなら、それらが稽古や試合で認められている空手にしようと思っていました。できれば、自分の家から近いところがいいと調べていたら、ここで禅道会に出会ったのです。顔面への打撃あり、組み技・投げ技ありの空手。これこそまさに、自分のやりたい武道だと思いました。それと、禅道会という名前にも惹かれました。『空手の修行自体が禅なのだ』という小沢先生の考え方が自分の想いとマッチしていたのです。入門したのが2016年、49歳の時でした」
何十年というブランクと遅咲きの武道再開である。年齢的にもしんどかったのではないのかと訊ねたところ、「すごく楽しかった。最初はしんどいけれど、それをがんばって乗り越えられたという達成感がありました」という答えが返ってきた。稽古後は「今日もがんばったな~」と駅前のラーメン屋で餃子とビールで一人打ち上げをしていた。それだけ爽快感があったのであろう。ちなみに、稽古の中で楽しかったのは打撃のスパーリング。寝技が苦手だったので、組み技のスパーは苦手だったそうだ。
禅道会での稽古を深めるにつれ、野村は人間の体の持っている可能性のようなものをもっと、拓いていきたいと思った。そこで禅道会と並行して、様々な武道や武術も学んだのである。ある武道では白帯から始めて茶帯まで獲得したそうだ。同時に、学んだことを実戦に活かすのが武道であり、野村のめざすところでもある。そのために、禅道会では大会への出場は昇級・昇段していくための必須となっている。昇級もさることながら、経験を積んでいきたいと思った野村はできる限り大会に出場した。
ちなみに、野村の試合実績は下記の通り。
堂々たる大会実績である。印象に残っている試合は何かと聞いた質問への回答がこちら。 「2021年に出場した試合です。この時は対戦相手が20歳のストライカーでガンガン攻撃してくる選手。対する自分は54歳でした。20対54歳ということで、他の方からは『危ないからこんな試合組んだらダメだよ』と言われましたが、中島先生から『大丈夫、いける!』と推され、大会に臨みました。そして、前半は互角に殴り合っていました。相手のパンチに合わせてパンチを返すという、周りもかなり盛り上がる打撃戦になりました。相手がたまらずに組んできたのに対して、上からつぶすようなスタイルで制圧する展開になり、態勢は有利だったのですが、相手の勢いがあったので押されてしまいました」
周囲の予想をいい意味で裏切ったこの試合は高く評価され、野村は黒帯となったのである。
禅道会の魅力は?という問いかけに対する答えがこちら。
「先にも話したように、武道の修行そのものが禅であるという名前に込められたコンセプトが好きです。そこには、少年期のベルギー時代から求めていた武道の在り方があると思います。また、稽古は基本稽古も移動稽古もみんなでやるのですが、この時は自分の内面と向き合っています。イメージしている通りの動きができているかどうかを常時、頭の中で見ているのです。同時に他のことは一切考えず、透き通ったような集中力で稽古に取り組めるので、すっきりして気持ちがいいですね。また、ルール上の制限が少なくて、他と比較しても実戦に近い大会をやっているところも魅力です。さらに、上下関係があまり強調されていない緩やかな雰囲気もいいです。そのような環境があるからこそ、悲壮感なく大会に出場できるのです。
「現在、門下生の指導にも関わっていますが、技術面では大畑支部長や先輩に教わったことをそのまま正確に伝えるようにしています。中島先生は自分の癖を見抜いて、『禅道会はこうなんだよ』と分かりやすく教えてくれました。その経験も踏まえて自分も同じように指導しています。また、門下生一人ひとりの目的に即した教え方に努めています。大会を目指す方、シェイプアップを目指す方、体力づくりを目指す方など、それぞれの目的に応じた指導にあたっています」
これからの目標を訊ねると、「心と体のマネジメントを続けていきたい」という回答。初めの頃はひたすら、強くなることを求めていたが、最近は稽古を通して心身をメンテナンスしてこうという考えになっているそうだ。一方で武道の深奥にある可能性を求めて達人になりたいという気持ちも心の片隅にある。「できる限り、打撃戦にならず、さばいて制圧できる技量を目指したい」というのが野村の理想の武道なのだ。57歳になる野村だが、大会には今も出場している。それは大畑支部長からストップがかかるまで続けたいそうだ。生涯、武道の探求者―野村のライフワークにそれが息づいている。