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総合護身術 護真会 代表 山本貴史の武道人生②

藤田まこととの思い出に残るエピソード

山本自身、藤田のボディガードをしているつもりだった。以来、藤田とは20年間の付き合いになった。ちょうどその頃、藤田が食道がんの手術をして、一カ月ICUにいた。がんであることは本人には隠していたそうだ。ICUから一般病棟に移る段階で藤田から山本に電話が入った。大阪に来てくれという内容だったのだが、その留守番電話の内容がとてもユーモラスであったらしい。それを原文のまま、紹介しよう。「埼玉県民に告ぐ。東京はただの集合体の組織に過ぎない。大阪は文化の街である。人間が生きていくうえで大阪という場所は最高の場所であると思う。東京の街はただの街。大阪は文化の街。これからの君の人生も大阪で過ごすと、もっと素晴らしいものになると思う…と、ある学者が言っております。お分かりになりませんか?最後にカス」藤田の声の後ろに家族の笑い声が入っていて、そんな茶目っ気のあるメッセージだったのである。お見舞いがてらに大阪大学医学部付属病院に駆け付けた山本はそのまま、大阪に二年間滞在することになった。着の身着のままで大阪に行ったのだが、藤田の家族から住まいと衣服を提供してくれたそうだ。そうこうするうちに藤田はリハビリをしなければならなくなり、千里のリハビリテーション病院に移った。VIP向けのその施設は一軒家のようになっており、キッチン、リビング、部屋が二部屋、庭付き、バス、トイレ付きという豪華なものだった。そこでリハビリをすることになったが、藤田には専属の作業療法士、理学療法士がついた。一つの部屋は藤田が使い、もう一つの部屋は山本が使った。家族も見舞いに来ていたが、山本は藤田と二十四時間、同じ屋根の下で暮らしいていた。

「その頃、自分は結婚もしていて子供もいました。藤田はそれを知っていたので、旅費を出してくれ、時々帰京させてくれました。でも、すぐに『いつになったら、戻ってくる?』という電話がくるのです。自分がいつ戻ってくるかを知ると、ご馳走を用意して待ってくれていました」

しかし、そんな藤田も病の進行には勝てず、ある日、長女から「Xデーが近い」という電話がきた。「ではすぐに行きます」と東名高速を飛ばして駆け付けたが、午前7時25分、大阪大学医学部付属病院のICUで藤田の身内と共に看取ることになったのである。

 

総合護身術 護真会を立ち上げて、要人・著名人の警護に当たる

総合護身術・護真会(CQC Close Quarters Combat/クローズ クォーターズ コンバット))を立ち上げたのは。2017年の6月であった。今年で8周年である。その前にも企業に招聘されて指導に当たっていたらしい。それが5年間ぐらい続いたのだが、身近な友人を中心に「ぜひ、教えてほしい」と言われ、護身を伝えていくことの必要性を改めて実感したそうだ。ちなみに、著名・有名人は警備会社や警察の警護があるが、一般人はそうもいかない。特に昨今、実際に暴漢に襲われるケースもあるので、まずはセルフディフェンスを立ち上げようと思ったと山本は言う。そんな彼に要人、著名人の警護で特に思い出に残るものはあるか?と訊ねたら、こんな答えが返ってきた。

「珍エピソードになるのですが、ある組織から狙われていた方を中心にその周りの方も狙われるという事例がありました。自分は警察と共同でその方の警護に関わっていたのです。毎朝、自宅に迎えに行くのですが、自宅に臨時のポリボックスが設置されていて、その隣に警察が警察車両を止め、24時間体制で警備をしていました。なので、自分は朝の迎えから、自宅に戻るまでずっとボディガードをしていたのです。そして、自宅に戻ってからは警察が警備に当たるという体制を整えていました。ある日の朝、その方を迎えに行ったところ、近くの団地の住人と思われる人がこちらに駆け込んできて、『お巡りさん、人が死んでいるんです』と言ってきました。すかさず、『警察に110番してください』と言ったのですが、結果的に所轄の警察が対応するという事件もありました。また、ある時は空港にクライアントを迎えに行ったのですが、一時的に離れる時があったので別の人に頼んでその場を去ったのです。すると、制服を着た警察官が現れ、『総理は何時ごろに到着するのでしょう?』と言われたことがありました。総理のSPと勘違されたのですね。一瞬、困ったことを覚えています。警備をしていて嬉しかったのは、ご家族から『守っていただいて有難うございます』と言われたり、盆暮れなどは感謝の気持ちを込めて商品券を持ってきてくれたりしたこと。『これは仕事なので受け取れません』とお断りしましたが、仕事上のやりがい・誇りを肌で感じることができました。ちなみに、クライアントを守るということは体だけでなく、その人の地位や名誉をも守るということです。それができていないと守ることにはならないので、全てにわたって守ることをしていました」

 

警戒というものが一時も途切れてはならないプロの世界

警備に当たる人物は多いが山本自身が狙われることもあったらしい。山本本人にくればいいのだが、場合によっては家族に危害を及ぼすことも考えられる。警護の任務を終え自宅に帰る時に、尾行者を撒きながら帰っていたそうだ。業界用語で「掃除をしながら帰る」と言われているのだが、その意味は尾行されている人間を播きながら、帰るルートを変えたり、途中で寄ったり、途中下車したり、バスを使うなど、同じパターンにならぬよう、アジトをつき止められないように帰ることをそう言うのだそうだ。それが自分自身と家族を守るための日課だった。いずれにせよ、殺害予告や脅迫文が送られるなど、常に危険な任務だったのである。「恐怖感はなかったのか?」という問いには「当たり前に任務を遂行していたので、麻痺していましたが、戦略と戦術をもって回避していたのでそれはありませんでした」という返事が返ってきた。このあたりは常任が及ばぬ、プロの姿勢なのであろう。ちなみに新人の警護員だったら、精神的な疲労で半日でくたくたになっているそうだ。不思議なものでそれも任務を続けていくうちに当たり前になる。緊張感すらも乗り越えられるし、トイレすら行ける時に行けるようになる。食べ物も食べられる時に食べられるようになる。「そういう体になっていく」と言うのだ。山本はヘビースモーカーだが、仕事中は一本も吸う気にはならなかった。また、アルコールも任務中は一切、受け付けなかった。そういうスイッチができていているのだ。環境によって、人間は対応できるようになると言われるが、山本の場合もまさにそれだったのである。

「普通の人が警戒レベルマックスの状態を0とします。それが我々のちょっと緊張感が落ちて、波が下降した時の警戒レベルと一緒だよ」と新人には伝えていました。また、新人を育てるには人をも選んでいました。もちろん、礼節がしっかりできるマナーなども含めてです。警護という専門的な任務に関われる素養と人としての礼節や気遣い・配慮ができるだけの人間となると、数限られてくるんですね。しかし、それに耐えられた人材がエキスパートとして、任務にあたれるようになるのです。私たちの仕事はそういう世界。ちなみに、警護に当たっては守ることの方が圧倒的に不利です。しかも、相手は複数で様々な手口で仕掛けてきますが、守る側はいつ来るかが分からないのです。だから、警戒というものは一時も途切れてはならないんですね。事態はわずか1~2秒で決まります。ほとんどの場合は5秒程度で決着がつきます。とはいえ、受け身ばかりだけでなく、攻めることも大切です。相手のタイミングを外す、あるいは攻撃できないようにする、攻撃のチャンスをつぶす抑止力が大切になります。それが全てと言っても過言ではないでしょう。だから、それをオペレーションの中に落とし込んでいくのです。さらに、ディフェンスに当たっては相手の攻撃を知らなければなりません。なので、相手の手口を知るための情報戦も大切になるのです。護真会ではナイフ術も教えていますが、敵の手口を知らなければクライアントと我が身を守れないのです。どれだけ相手をコントロールできるか、さばけるか、ブロックできるかが求められます」

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