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禅道会・岩間真太郎の武道人生

苦しいながらも練習に明け暮れる毎日

今回、紹介するのは現在、禅道会の長野支部長と広島山口支部長を兼任する岩間真太郎である。彼は中学時代に学校の部活で水泳をやっていた。それが空手をやるきっかけになったのは、卒業式が終わった時に高校になるから何か新しいことをやろうと思ったからだそうだ。友人から飯田に格闘空手と言う道場があるから、そこに行こうと誘われたと言う。ただ、この時は入会したが一回稽古しただけで親から危ないからやめなさいと言われて辞めたらしい。しかし、高校二年の11月にもう一度やろうと思い直し、親からは反対されたが再入門。その稽古内容だが、入会したばかりのときは、今は受けを教わって軽いスパーからだんだん覚えていくという流れになっているが、昔はそうでなかった。いきなり殴り合い、蹴り合いである。通常はここで嫌気がさして辞めてしまうものだが、岩間は「普通の人より強くなれたという自信がつくまではがんばろう」と思っていたらしい。しかし、昇級して帯が変わっても、なかなか自信がつかない。それでも、岩間曰く「道場生の人たちがいい人たちだったので、長く続けることができた」と言う。

「小沢先生からは『努力することが大事だ』『努力すればだれでも強くなれる』と言われましたが、当時は武道をやる人はもともと強い人たちがやっている。稽古は大変だしきついから自分はせいぜい普通の人より強くなればいいと思っていました。指導を受けたのは小沢先生と現在豊橋支部長の宮野先輩からでした。当時の合同稽古の内容は二時間半。基本稽古・移動稽古だけで一時間みっちり。基本と移動の間には、息吹の呼吸法と深呼吸、それと補強トレーニングで腕立て・腹筋・ジャンピングスクワットなどが入ったりもしていた。後はミットをやって、約束組手、最後にスパーリングという流れでした。スパーは相手を変えながら1ラウンド2分を何回も行い、最後は小沢先生から対戦相手を指名されて自由組手です。ボディにパンチや蹴りをくらって、うずくまっても『がんばれ、立て』と言われ、いいと言われるまで最後までやらされました。そんな調子だったので、練習がきつくていつ辞めようかと考える時もありました。今では考えられない練習内容でしたが、昔の武道や格闘技の道場ではどこもそんな感じだったのです。今は基本から指導され、徐々に慣れていくという感じなので、昔のようなスタイルはありません。入門された方にはストレス発散・非日常を求めて武道をやりに来て、それが楽しいと思う人もいます。でも、当時の自分は苦しいながら練習をする毎日。そんな中でもなんとか続けようとがんばっていました」

ちなみに、その頃のスパーリングは黄色帯以下が顔面無しのフルコンタクトルール。緑色帯以上が格闘ルールで顔面ありだったそうだ。「スパーリングの際、顔面にハイキックをもらって倒されたり、ボディにパンチをもらって悶絶するシーンもあったりで、恐怖と直面しながらも必死の思いでやり抜いていました」

それでも技術が伸びていくうちにつれ、攻防も思うようにできるようになる。自分のスタイルに少しずつ自信を深められるようになった岩間は19歳の時に内弟子になった。

内弟子となって、本格的に空手の世界に身を置く

1988年に長野県飯田支部の常設道場が移転、新築されました。小沢先生が内弟子募集もすると言われ、緑帯の時に入ったのです。寮生活で自由も束縛されることが予想されましたが、覚悟を決めて内弟子になりました。一日の流れは朝起きて掃除、それから朝稽古。ランニング・補強トレーニングもしくはウエイトトレーニング。その後、朝食を済ませて会計や道場生の出席簿をつけたり、審査会や大会の運営準備などの業務です。昼食後も業務が続き、昼間に小沢先生との練習。サンドバッグをやって、小沢先生のミット持ちをやり、最後はスパーリングと首相撲。これが二時間から三時間のメニューでした。小沢先生とのスパーリングは、その強さが別格で倒されることもしばしばでした。きつかったですよ。その当時、格闘技雑誌やビデオなどでムエタイの技術を目にすることが多く、タイにてムエタイのジムでトレーニングできるツアーがありました。タイに行った小沢先生がグローブを買ってきて、道場ではグローブ付きのスパーをやっていました。それでボディを打たれて悶絶することもありました。大きいグローブは顔面にも効くし、ボディにもろにもらうと苦しいです。いずれにしても、小沢先生とのスパーリングは他の人なら読める動きが全然、見えなかったのです。例えば、ハイキックが全然見えない。足の出所が分からないのです。『読めない蹴りとはこうするものだ』と説明も受けましたが、できませんでした。小沢先生の動きは30代になってからも進化されていました。蹴りをもらうと、ブロックした腕が効かなくなる。ぶっ壊されるという感じです。ローキックも脛で受けてもダメージが大きかった。他の人ならば、重量級であってもさばけるのですが、小沢先生だとそうはいかない。とにかく、技の重さが異質でした。鉄の鞭のような一撃を何度ももらいました。どうしたら、そういう打撃ができるかという説明も受けましたが、なかなかできません。呼吸と体の使い方がひとまとまりになった時に、技の精度も威力も増すと言われましたが、未だに探求中です。そのあたりが禅道会という武道の奥の深さだと魅力にも感じているのですが」

ちなみに、小沢のミット持ちとスパーリングをやり続けたおかげで、無差別大会で重量級の人と当たってもダメージは負いにくかったそうだ。ミットを通して、小沢の打撃を体感することで力の逃し方、いなし方、力の緩急などを身につけることができたそうだ。

「その当時の小沢先生は職人的な感じで、ミットの持ち方が悪いと技の角度や力の入れ具合が狂ってしまうため、かなり叱責されました。それを徹底的にやったおかげで、自分の打撃技にも参考になることが大いにありました」。

練習はきつかったが合理的ないい内容だったと岩間は語る。当時の長野県支部の練習は厳しいけれど、門下生を大事に育てる指導法で、段階を追ってやっていけば、強くなれる体系が整えられていた。それにしても、岩間はよくぞ内弟子という厳しい世界に身を投じたものだと思う。外出も思うようにならないし、個人の自由はほぼ拘束されるのである。挫折したら、通いの道場性にも復帰できない。他団体の内弟子の話で、挫折したら雰囲気的にも通いの道場生にも復帰できないと聞いた。そんな中でも続けることができたのは小沢が厳しくも暖かい指導をしてくれたからだと言う。話をもとに戻して、内弟子の一日の最後の仕上げは夜の一般の合同練習への参加である。まさに、空手漬けの毎日である。内弟子は計10年間にわたって続けた。そして後半は新しく内弟子・研修生になった者への教育・指導係になり、後輩が入ってきた時には寮長になっていた。その後、岩間は1999年に禅道会・長野県長野支部長に就任する。さらに、2009年に長野支部長と兼任する形で広島山口支部長に就任。現在は広島山口支部のみの指導にあたっている。

指導者として、心がけていること、大切にしていること

「まず、入ってくる人たちは動きに慣れていないです。初心者が口を揃えて言うのは、空手の基本稽古やミットは傍から見ると、そんなにきつくなさそうに感じるが、実際に練習をするとしんどいということ。どこの道場でも当たり前に言われていることと思いますが、繰り返し練習していくうちにだんだん慣れていきますのでまず基本的な反復を大切にしています。禅道会の練習は「基本稽古・移動稽古・ミット・打撃スパー」の打撃稽古、「投げと寝技の反復・立組技と寝技のスパー・総合スパー」の組技稽古を行い、少しずつステップアップしていける内容です。」

ちなみに、長野支部長時代は2008年に禅道会の10周年記念大会が開催され、岩間も全日本大会開催運営の実行委員長と並行して、選手としても参戦した。大会のスポンサー営業、大会の運営にも関わりながらテレビ局の禅道会ドキュメンタリー番組制作とマッチし、多忙極まる業務をこなしながらの試合出場だったが、残念ながら、優勝はできなかった。最後に禅道会の魅力を岩間の口を通して語ってもらった。

「禅道会は総合格闘技のルールで行う空手です。少年部は安全性を重視したポイント制の試合で、大人もいきなり総合のルールではなく、段階に応じて設定され、安全性を考慮して強くなっていけるルールを用意しています。武道として実戦性は追求していますが、ただ過激なだけでは成り立たないから、あらゆる人が稽古を積んで強くなれるようにしています」

誰もが強くなれる空手。それを指導の要としながら、さらに西日本に禅道会を普及していくことが岩間の目標だ。

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