その時の様子を高萩はこう語った。
「炭粉さんと対峙したその瞬間でした。炭粉さんは鍛え上げた屈強な両腕で十字を切って猫足立ちに構えました。『よしっ!本気でかかって来い!』いきなりのシチュエーションであった。私はパニックに陥ってしまいました。炭粉さんの前羽の構えに氣が込められ、緊張が辺りを覆い尽くした。反射的に私は右半身に構えました。炭粉さんの破壊力のある攻撃を喰らったら一溜まりもない。利き腕を前にして衝撃に備え、全身に力を込めました。騒がしい居酒屋であった筈ですが、集中していた故か、雑音は遠のき、静寂な空間が顔を覗かせていました。同時に炭粉さんの殺気は消えたのです。私に心地よい緊張が走りました。ともあれ、自分も一介の武道家。如何なる時もその状況を瞬時に飲み込み、腹を決めねばならない。尊敬する先達にKOされるのもまた一興。ただ、簡単にはやられる訳にはいかない」
そう思った高萩は炭粉さんにこう言った。
「顔面無しで良いですか?」
炭粉さんは黙してうなずき、厳格な表情で一言を発したと言う。「そうだ、来い!」氏の気勢が高萩にピリピリと伝わってきた。だがしかし、…ここまでだった。不思議な事に、高萩はその後の記憶の殆どが消えてしまったのだ。まるでPCのDelキーを押して、不要なデータを全て削除したかのように。その会場は盛況な居酒屋の個室である。高萩たち以外にも宴会をしているグループで大変賑わっていた。そんな煩い場所にも関わらず、高萩は終始静寂な空間に包まれていたと言う。そして、周囲の声も次第に遠くなり、最後は何も聞こえなくなった。時の刻みが速度を変える。いつも認識している時間の経過の仕方とは明らかに違う。ゆっくりと…そして記憶が消える。
「ここからの内容は、当時の参加者多くのメンバーに詳細をリスニングし、かすかに残留する記憶の破片をつなぎとめて書いたものです。炭粉さんの目的は“痛み稽古”であった。痛み稽古とは、打撃に耐えうる強靭な肉体を要請する為の苦行であり、相手から放たれる全力の攻撃に対し、一切の抵抗をせず、また、防御もせず、全て己の全身で受け止めなければなりません。正に命がけの修行なのです。今、思えば、炭粉さんは自らの意思で攻撃を完全に封印していたのですね。私は、瓦十枚を簡単に粉砕する拳を、幾人かの脛骨と腓骨を粉砕してきた蹴り技を全力で放ちました。それを炭粉さんは全部受けきるのです。当の私自身は不思議な感覚に包まれ、記憶と判断力の無い様な状態になっていました。」
その場面は数分間続いたと言う。当事者である高萩には長遠の時間であったような気がしてならないと語る。果たしてその時の高萩は無念夢想の世界にいたのか? 否、彼曰く「攻撃の記憶は無いのですが、記憶には何らかの情報が焼き付けられていました。恐れ多いのですが、敢えて言葉で表現するとしたら“同調”、いや、“境地冥合”というべきか・・・。そして、私の全身に、炭粉さんの深き哀しみと覚悟が怒涛の如く流れ込んで来ていたのです。誰かを愛するが故に背負わねばならなかった深き哀しみ。そして、それを克服された精進と覚悟。文字なんかにはとても表現しきれない強い感情。勿論、炭粉さんに何があったのかは全く分かりません。しかし、何かがそれを私に伝えるのだけは体で感じていました」
「止め!」の声が聞こえ、その瞬間、ようやく高萩は我に返る事ができた。そして通常状態の自分を取り戻そうと試みた。痛み稽古の終焉、高萩は感情を制御できないでいた。「きっと泣き出してしまう一歩手前の状態だった」とその時を振り返って、高萩は語る。そして、目前に立つ偉大な先達に十字を切って頭を垂れた。
「押忍、押忍。ありがとうございました。」
言葉はこれ以上出なかった。自然にほろりと涙が頬をつたった。痛み稽古は高萩も幾度か経験した事があるそうだ。例え尊敬する方が相手であったとしても、感極まる事など断じて無い。何故なら、それは痛みを乗り越え、強靭な肉体を手に入れる為に行う稽古だからだ。しかし、高萩が感涙にむせたのは単純で感傷的な理由ではなかった。痛み稽古、いや、敢えて「組手」と呼ぶならば、あの刹那に観た、恐らくは、畑村会長や炭粉さんが既に通ったであろう合気の門。それを瞬間的とは言え、高萩は観る事、いや、確かに感じる事ができたのだ。彼はその時、何か確信の様なものを感じたと言う。あの奥に、あの先にこそきっと合気がある。もう少しだと。高萩にしてみれば、正にこの時、合気が彼に固い門戸を少しだけ開けてくれたのである。
しかし、何故、炭粉氏は「痛み稽古」の相手に高萩を選んだのだろう。その場にいた全員に何を伝えたかったのだろうか?
高萩はこう話す。
「これを目撃した門下達は肝に銘じなければならない。我々は武道を志す者です。合気が通じない相手に相対した場合は、守らなければならない存在の為に、命を賭して戦わねばなりません。合気が通じないなどと言って、決して逃げ出す訳にはいかないのです。それは綺麗事では済まされません。『合気でできる事は、拳ででも出来なければならない。これを忘れるべからず』と、痛感しました」
実際の護身の場に活かされてこその武道・武術。炭粉さんは高萩に体を張って伝えたのだ(炭粉氏は昨年12月に他界した。氏の冥福を心から祈りたい)。炭粉さんとの邂逅を経て、かような不思議な体験をした高萩であったが、それから暫くの後、拳友達との自由攻防稽古において、更に深い境地を知る事になるのである。
その後、高萩は氣空術・東京支部稽古の直前、拳友である総合格闘家のS、空手家のTと共に、板橋区の武道場にて自主稽古を行った。時間をかけながら心身を緩めていき、合気上げ・愛魂起こしが自在に出来る様になってきた。「今日は調子がいい!」と、誰もが前向きな気持ちを持っていたそうである。
そして…「自由攻防をやってみませんか?」
誰かが静かに語った。そこに集った面子を見て、高萩は改めて納得したと言う。流派は異なれども皆、実戦武術の修行者である。
そして真剣な自由攻防が始まった。高萩は相手と対峙した途端に、風を割く轟音と共に、身体が破裂しそうな衝撃を受けた。Sの強烈な正拳が高萩の水月上部に突き刺さったのだ。あばら骨が軋む。しかしそんな事は意に介してはいられない。より一層の気合いを持って、最初の一撃とほぼ同時に左中足でSの左大腿部を蹴りこんだ。自由攻防は熾烈を極めた。開始当初は顔面無しのフルコンルールで稽古をおこなっていた。とは言え、それでも武道家達の打撃技は強烈である。正拳は身体の外面の破壊だけではなく、同時に内面(内臓)へのダメージを狙っている。どの位時間が経過したのだろうか。全員の持久力は底をつきかけていた。その時の事だ。騒がしかった道場が、いつの間にか静かになって行くのを感じた。高萩の中の殺意は消えかけ、あるがままの状態が網膜に映し出された。次第に攻防を繰り返す手先を見ている事が鬱陶しく感じられ、視線はいつの間にか自然に虚空を見つめる様になっていた。しかし、そんな状態にも関わらず、必倒の氣がみなぎる拳や蹴りの軌道は全部見て取れたのだ。時の流れがゆっくりと感じられるようになった。不思議な境地は更に顔を覗かせた。
…ただ触れるだけでいい。
Sの身体に触れる。それだけで彼は声を放ち倒れる。Tもその攻防に加わった。二対一の状態だ。だが、最早、誰も高萩を害す事はできなかった。この感覚はやがて確信となり心を満たした。益々時はゆるやかに流れ、身体は意識する事なく自在に動き、ただ触れるだけで合気がかかったのである。