今回、紹介するのは禅道会横浜支部指導員の鷲山亨である。福井県出身の彼は高校ぐらいまでは何も運動はせず、活発な人間ではなかったそうだ。
「ずっと、帰宅部でした。漫画を読んだり、テレビを見る毎日を送っていました。ただ、小学校3年生の頃、ブルースリーの映画が放映されていたので、これは好きでした。『やってみたいな』という関心はあったものの、高校にも部活が無く、実際に少林寺拳法部を始めたのは大学の部活に入ってからです」
鷲山にとって、遅咲きながらこれが格闘技への始まりだった。試合は二人組んでの演武で、打ち合い・蹴り合いをする内容ではなかったらしい。それでも、少林寺拳法にはまった鷲山は大学を留年した五年間と、卒業して就職してからも三年間ほどやっていたので、トータルで八年間ぐらいやっていたそうだ。ちなみに、就職したのは機械系の設計者だった。その後、職場移転で川崎の工場に移った。そこで住まいが横浜の鶴見の社宅になったのである。近くで少林寺拳法の道場を探したが、なかったので、近場にあったフルコンタクト空手の道場に入門し、こちらも八年間ぐらいやっていたそうだ。
話は前後するが鷲山が大学生の頃、禅道会の前身である空手道場の新人戦の大会があり、これに出場した経験もあるらしい。
「後輩が少林寺とその空手をかけもちでやっていたのですが、この時の主催が小沢先生が支部長をしていた飯田支部の大会だったのです。そのうち、禅道会横浜支部が設立されました。2002年、私が35歳の時です。総合格闘技的な武道を学びたいと思っていたので、オープンと同時に入門しました。入門前から、総合系の本を読んで関心を抱いていたという理由もあります。少林寺とフルコンタクト空手と比較すると、練習中の解説の時間が少なく感じました。それでも、基本や技の指導はしっかり行われていました。また、時間の流れに合わせて、練習が進められるので、それが新鮮でやりやすかったですね。組手は打撃格闘技の経験を活かせて通用したのですが、寝技は全然、ダメで通用しませんでした。ポジショニングスパーという練習があり、抑え込まれた状態から始められるので、すぐに極められてしまうのです。ただ、この練習は上下交代、抑え込んだ状態と抑え込まれた状態を変えながら行うので、体で覚えて脱出できるようになるという流れでした。何度も同じことを繰り返し練習するので、技に対する理解力が深まり、修得できるという体系になっていました」
大畑道場長の指導のもとで、実力を磨く
そんな鷲山を育ててくれたのが当時、横浜道場長であった大畑である(現在は横浜支部長)。鷲山曰く「大畑先生は天才的過ぎて、技はすごい。説明も丁寧だったので、学びやすかったです。他にはスポット的にあった技術講習会で小沢先生や諸先輩から学ぶことができました」
その当時、鷲山と同じ一期生は10人ぐらいが在籍していた。格闘技経験者も多く、それぞれに強かったらしい。ちなみに試合はスーパーセーフの顔面あり、上級者になるとヘッドギアでオープンフィンガーグローブでの総合ルールであった。練習の流れは準備運動、その場稽古、移動稽古、ミット打ち、マススパー。これが打撃の日の基本メニュー。寝技の練習の時は、ポジショニングのスパーが行われていた。寝技にはかなり苦戦したか?との問いに「苦戦しましたね。でも、一年はかからずに、行けるようになりました。また、後から入ってきた後輩と一緒に、禅道会とは別に柔術の練習もやろうということになりました。その練習を通して、寝技も上達することができました」
こうして、練習を積むにつれ、鷲山の実力は次第にアップしていく。大会出場も輝かしい実績を挙げられるようになった。その一部を紹介すると…
第5回大会マスターズ 62.5kg以下級 優勝
第6回大会マスターズ 72.5kg以下級 準優勝
第9回大会マスターズ 66kg以下級 優勝
第11回大会マスターズ 66kg以下級 優勝
禅道会以外では、「SWAT!」にも出場経験があり、それなりの実績を治めている。また、自分の試合だけでなく、柔術の稽古で知り合いになり、親しくなった平信一選手のセコンドにも就くようになった。セコンドは毎試合、行っており、今も平選手が出場するパンクラスの試合のセコンドに就いているそうだ。ちなみに自分が出場してきた大会で思い出に残る試合はあるか?との問いには、こんな返事が返ってきた。
「フェザー級で出場している時、打撃で気絶をしたことがあります。どんな攻撃で倒されたのか全然、覚えていません。それもあって、以降はバンタム級に減量して出場するようになりました」
自分の練習と同時に後輩の門下生の指導にもあたる
現在、横浜支部道場で指導員も務める鷲山だが、指導を行うようになって以来、改めて気づかされることもあるそうだ。
「教えているうちに、自分のやっていることが整理できるような感じになります。それを分かりやすく説明しいくと、自分にもフィードバックできるようになるんですね。他者の指導に当たる中で、自分の気づきができるようになったのは思わぬ産物でした」
ちなみに、鷲山が禅道会に入門したのは35歳。今年で56歳になるので、21年になる。「自分でもこんな長くやるとは思っていませんでした。禅道会にそれだけ魅了されているのだと思います」
禅道会のどこがいいか?という質問には「一つ目は技術的には打撃と寝技がリンクしていること。あらゆる攻防に応じた戦闘術を学び、磨けるのがいいと思います。二つ目にフィジカルよりも、体重移動などの体の使い方を学べるようになっていることです。禅道会では打撃もそうですが、同じように体重移動を使って、寝技をかけていくことを重視していますし、それを修得すべく練習をしています。小沢先生の言われる慣性質量の練習ですね。それを使って、動けと言われているのですが、力を抜けば抜くほど、シャープな動きができるようになるのを自分でも実感しています」
ちなみに、前回、トピックス記事で紹介した増田選手とも一緒に練習しているそうだ。水・金・土・日と総合格闘技の練習をしているというから、よほど、禅道会という環境が合っているのであろう。思ったことをそのまま鷲山に言ったところ、「とても居心地がいいですね。自分の練習をしながら、指導にもあたり、選手のセコンドにも就く。それらすべてが楽しいです。ちなみに自分が肝に銘じている言葉がブルースリーの『Don’t think―考えるな』です。この言葉そのものが好きな言葉なので、常に言っています。考えるより、パッと行動に移したいと思うんですね。考えると、躊躇したり、迷ったりするからどうしても行動が遅くなります。だから、とにかく行動する。失敗があっても、それに気づいた時点で改善していけばいいことですし」
最後に、これからの目標を訊ねてみた。
「目標はなるべく長く、楽しみながら続けていくことです。先にも話したように、禅道会はフィジカルより、慣性質量の動きを重視しています。これが身につけば、年齢関係なく鋭い動きができるようになりますし、結果的に無理ない動きができるので、年齢関係なく動けるようになる。後は平選手をはじめとする大会に出場する選手たちのセコンドに就くこと。楽しみながら、自分も関わる人たちも上達していくことを継続していきたいと思っています」