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空手道 大誠館 宮崎文洋館長の武道人生 最終回

ムエタイをはじめとする海外の打撃格闘技にもチャレンジ

大誠館では、フルコンタクト空手と総合格闘技空手の融合をテーマにしているが、あらゆる場面で「使える技」を修得するために、掴みや崩しサバキのある空手まで、稽古に取り入れている。その理由は以前にも書いたように、正道会館・石井館長と初めて組手をした際、回し崩しでいいように投げられ、振り回された宮崎自身の経験があるからだ。体格差がある場合、正面向い合っての攻防は体格で劣る方が圧倒的に不利である。だから、相手のサイドにまわったり、打撃をガシッ!と受け止めるのではなく、いなすようにして捌いて反撃することの重要性を痛感し、その稽古法を取り入れているのだ。

さらにまた、通常の空手団体なら、自分の主催する試合にのみ、特化した稽古をしているのだが、大誠館はここでも違う。国内、そして国外のあらゆる打撃格闘技の大会にチャレンジし、それに見合った稽古を行っているのである。前々回の記事と重複するが、ムエタイとの対戦もそうだ。正道会館を破門になる前、石井館長命令で「軽量級の選手を育てておけ」と言われた宮崎は1999年に初めてムエタイ留学生をタイに送り込んだ。その少年は高校卒業と同時にタイに留学し、最初はラジャダムナンスタジアムで一ラウンドKО勝ち。これが宮崎の発奮材料になった。「もしかしたら、他の大会でもいけるかもしれない」というチャレンジする精神が生まれてきたのである。後、フルコンタクト空手に関しても、“”大誠館の名前を売っていきたい”という思いから、様々な他流派の大会に選手を送り出していた。そこでの戦績も芳しく、宮崎の期待はさらに高まっていったのである。

世界一過激な格闘技と言われるミャンマーラウェイとの対戦

2017年には「ミャンマーラウェイ」にも挑戦した。

「小沢代表から初めてその話を聞かされた時は、そんな過激な格闘技、よくやるなと思ったものです。でも、大誠館は少数精鋭の最強の団体を作りたいというのが自分の考えだったから、世界一過激な格闘技と言われるミャンマーラウェイを避けて通ることはできなかったんです。最初、小沢代表からは『向こうのグリーンボーイの選手と対戦するのはどうですか』というオファーがありました。この時、挑戦の名乗りを挙げたのが当道場の山本という選手。そこで、ミャンマー対日本人の5対5マッチが国内で初めて開催されることになりました。その第一試合が山本だったのですが、初のミャンマーラウェイの大会ということもあり、後楽園ホールも満員でした。入場も結構、かっこよく入れましてね。入場する時は選手のプロモーションビデオが流されたのですが、山本のそれは自分たちで撮影しました。冬の季節に屋外で空手着を着て、雪の中でシャドーをやったり、瓦割りをするビデオを作製したんです。それが試合の前にミャンマーで流され、なんと二万プレビューもの再生数があり、注目を浴びてしまったんです。それ自体は良かったのですが、向こうでは『すごく強い選手が出てくる』という噂が流れたてしまいまして…。結果、試合はグリーンボーイ戦の予定だったのに、なんとミャンマーラウェイのチャンピオンが送り出されてきたんです。それを知ったのは、自分と山本がリングに先に上がり、ミャンマーラウェイの選手が入場してくる時の相手側のプロモーションビデオを観た時でした。話が違うじゃないかと驚いたのですが、『こうなったら、やるしかない』と腹をくくりました。ゴングが鳴ってからは、山本はフルコンタクトから顔面あり、総合も全てできる選手なので、ディフェンスも得意としていたのですが、相手のワンツーでいつもならかわせるのに、右ストレートを顎にもらってしまったんです。スゥェーでかわしているのに、相手のパンチが思いのほか伸びてきて。後で気づいたのですが、素手なので、脳を揺らすには当たってからのインパクトとフォロースルーを長くするのですが、ミャンマーラウェイの選手は当たってからのパンチをさらに伸ばすような打ち方をしていました。日本拳法のように縦拳で打撃面を打ち抜いてくるようなパンチで一発一発に渾身の勢いを込めて、体当たりするかのように打ってくるんです。最初のワンツーでグラッとなり、打ち合いになりましたが、次に同じパターンでワンツーをもらってダウンしてしまいました。この時、後楽園ホールの観客が異常な盛り上がりになったんです」

ちなみに、ミャンマーラウェイのルールにはタイムがあり、セコンドが「タイム」と言うと、ダウンしていてもそこでストップがかかり、ダウンも取り消しになるというルール(注/試合はパンチと蹴りのみならず、肘打ちも頭突き、投げもある。試合は五ラウンド制だが、日本国内で催す際は三ラウンド制)。 

タイムをかけられるのは一回まで。そこで宮崎は山本をセコンドに戻し、二分間のインターバルで少しでも回復させようとした。山本は投げも巧い。試合前、小沢代表は宮崎に「ミャンマーラウェイの選手は投げに弱いのではないか」と予想していた。ところが投げも徹底的に練習しており、しかも身体中にワセリンをたっぷり塗っているので、滑ってしまい、投げようにも投げられない。その後、山本はがんばったものの、またパンチでダウンを奪われ、負けてしまった。第一試合目から強烈なダウンシーンや試合運びがあることから、後楽園ホールは異常などよめきと盛り上がりがあり、宮崎は「興行の引き立て役にはなれた」と思ったそうだ。

ミャンマーラウェイは選手ではなく、「戦士」と呼ばれていた

その後、宮崎は小沢代表と共にミャンマーラウェイの視察に行った。選手は顔を殴られても、どういうわけか顔は腫れず、鼻血も出ない。練習方法やその強さを探りたかったのである。そこで、「なんで顔が腫れないのか?」という質問をしたところ、「ミャンマーラウェイは選手というより、戦士という位置づけ」という答が返ってきた。選手は地元では英雄扱いになっており、先祖代々、選手の家系が続いているのが多い。その遺伝で殴られても腫れなくなったと聞かされた。真偽のほどは不確かなのだが…。

「練習内容はすごく単純でロードワークをやったり、軽くシャドーをしたり、ムエタイジムの三分の一ぐらいの練習量なんです。最初、それを見た時に『なんでこれだけの練習量なのに強いのか』と思いました。パンチも蹴りもムエタイと比較すると、芸術的なまでの巧みな打撃技でもないんです。さらに驚いたのは、ミャンマーラウェイは子どもの選手もいて、大人顔負けの素手の殴り合い、蹴り合いをしていました。日本では、放送禁止だなというぐらいの試合内容でした。意外だったのは、国民性がとても真面目でシャイなこと。日本の試合前の記者会見の時も、ほとんどの選手が喋れなかったんです。そのシャイな姿と戦っている時の姿のギャップには驚かされました。その後、ミャンマーという国にも惹かれ、何度か足を運ぶようになった。

子どもはフルコントとMMA空手ルールでの稽古。選手志向は20名ぐらいおり、試合に向けた練習に取り組んでいる。

あらゆる打撃系格闘技の大会にチャレンジできる空手を目指す!

宮崎は現在、51歳。武道とはどのようなものかについては、まだ結論に至っていないが、「弱い自分に勝っていくもの、奥が深すぎて、自分自身もまだ分からない」と語る。そして、これからの大誠館を有名にして、正道会館を破門された時からついてきている森洸稀をもっと表に出して有名にしたいと話してくれた。大誠館自体も少数精鋭で強いと言われること、そして、あらゆる空手、打撃系総合格闘技の大会に通用する稽古体系を研究することで、勝利に導けるようにチャレンジしていきたいというのが空手家・宮崎の目標だ。それは宮崎なら、きっと叶えられると取材を通して実感させられた。

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