今回、ご紹介するのは、禅道会横浜支部長の大畑慶高氏(以下、敬称略)である。自分が大畑と会ったのは、禅道会の後援会式典の時だった。以降、このトピックスを書くようになって以来、親交が深くなったのである。その大畑から、「今年(2020年)の11月に本を出すことになりましたという話を聞かされ、「それなら、ぜひ、お話を聞かせてほしい」と、自分から依頼したのだ。ちなみに、大畑の略歴を書くと…
1974年生まれの現在、46歳。20歳の時に陸上自衛隊に入隊する。そこで彼が目指し、入ったのが、もっとも過酷と言われるアルペンレンジャーであった。空手を始めたのは、入隊半年してから。その道場は打撃気技(パンチ、キック)だけでなく、投げ技、寝技、関節技、倒れた相手への攻撃も認められた、総合格闘技色の濃い空手だったのである。レンジャーと空手という、ハードな世界に身を投じた大畑は、自らに猛練習を課した。このあたりの話は後に書くが、練習の成果は試合結果に見事に表れた。以下がその戦績である。
1999年第1回 リアルファイティング空手道選手権大会 62.5kg級準優勝。
2000年第2回 リアルファイティング空手道選手権大会 62.5kg級優勝。
2002年第3回 リアルファイティング空手道選手権大会 62.5kg級準優勝。
2002年第4回 リアルファイティング空手道選手権大会 62.5kg級優勝。
2003年第5回 リアルファイティング空手道選手権大会 62.5kg級優勝。
2004年第6回 リアルファイティング空手道選手権大会 62.5kg級優勝。
六回にわたって、見事なまでの実績である。
禅道会は先にも書いたように、打撃技のみならず、投げ技、関節技など、総合格闘色の濃い実戦武道だ。大会に臨む出場選手数も多く、60㎏代と言えば、もっとも、競合ひしめく階級だ。ちなみに、大畑の身長は170㎝。これは成人男子の平均的なサイズだが、中には長身でウエイトを落としてくる選手もいたであろう。その中で、勝ち抜いてきたということは、大畑の実力を明確に物語っていると言える。
だから、である。大畑と数年ぶりに会う前は、もっと、武道家然とした雰囲気の人物をイメージしていた。一度、会っているにもかかわらず、勝手にそう思い描いていたのである。
だが、実際の大畑の印象は笑顔の優しい好漢であった。話し方もそれに比例しているのだが、彼の体格、特に前腕の太さは並大抵のものではなかった。後に詳しい話を聞いて、納得したのだが、大畑はレンジャー時代のトレーニングも禅道会の稽古も常人とは一線を画す、桁外れたものがあったのだ。まさに、鍛えぬいてきた体である。その大原がヒアリングするホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら、こんなことを言った。
「私は自分のことを“武道家”とは思っていないんです」と。
意外な言葉である。何十年と鍛練をしてきて、自稽古は今も続けて行っている。禅道会における立場は横浜支部長であると同時に、NPO法人日本武道総合格闘技連盟の副理事長でもある。その大畑をして、武道家とは思わないとはどういうことであろう。疑問を抱きながら、彼の話に耳を傾けることにした。
「強くなることは、長年、求め続けてきました。それは今でも変わりません。でも、私が思う最強とは、『愛と死生観(生き様)』なのです。レンジャーをやってきた私ですから、目的を果たすためなら、命を惜しまないという死生観を持っています。自衛隊に入隊した目的そのものが、無駄に命を浪費するのではなく、何か価値のあることのために使いたい、日本という国を守りたいという気持ちからでした」
自衛隊、なかでもレンジャーに入隊する人には、それぞれの目的があると思う。しかし、若干、二十歳にして、「日本を守りたいから、自分を価値のあることに使いたいから」とは、この時点で意識や意気込みが違うのだ。感心しながら、話を聞く自分に大畑はこんなことを語ってくれた。
「機動戦士ガンダムの中で一番好きなキャラが“青い巨星”こと、ランバ・ラルです。彼はゲリラ戦を戦い抜いてきた職業軍人ですが、内縁の妻であるハモンや部下からの信頼がとても厚く、女性や子どもなどの弱者との戦闘を嫌う良識も備えていました。また、主人公のアムロ・レイに人間的成長のきっかけを与えた人物であり、パイロットとしての技量だけでなく、人としての器の大きさからアムロからも『あの人に勝ちたい』と言われていました。同時に、彼は国のために命を尽くす男でもあったのです。私がランバ・ラルを好きなのはその人間性もありますが、国のために命を尽くすことを厭わない姿勢に自分と通じる部分を感じたからです」
他の人が同じ話をしたら、何を言っているのか…と思われるだろう。しかし、そう語る大畑の言葉には一切の揺らぎは無かった。真摯なまでの気持ちがみてとれた。事実、レンジャーという、普通では考えられない過酷なトレーニングを我が身に課してきた男である。その話には、自分を深く納得させるものがあった。その大畑がどのような過程を経て、レンジャーに入隊し、そして、禅道会に入ったかを生い立ちから彼の話を通して書くことにする。
「妹の病気が理由で8歳の時から、両親と離れて暮らしていたのです。私は父方の祖父のもとに預けられていました。元・軍人であった祖父は厳しかったですね。態度が悪ければ、足払いをくらったり、納屋に閉じ込められたり、お灸を据えられたり、今では考えられないぐらいの厳格な躾をされていました。むろん、優しい一面もあったのですが、そのような家庭環境に育ったせいか、小学生の頃から強い劣等感を抱いていたのです」
その劣等感から、大畑は同級生と喧嘩ばかりしていたが、成績は優秀だったと言う。負けず嫌いという性格が彼にとって、いい方向に転換したのであろう。結果、静岡県でもトップクラスの国立工業高等専門学校に進学することができた。
その前から彼は元・軍人の祖父から常々、「一番になれ」と言われ続けてきたそうだ。祖父の言葉に素直に従うように、大畑は柔道を始め、武道でも一番を目指そうとした。だがしかし、それでも彼の劣等感は拭いきれなかった。喧嘩は不良集団だけでなく、やくざ者相手とまで小競り合いをするようになった。さすがに、自分でも「これではいけない」と思ったのだろう。幼少期からの祖父の教えも大畑の胸に焼き付いていたのかもしれない。自分という存在を国のために活かし、充実感ある人生を送りたいと思うようになった彼は、本当の戦闘術を身につけるべく、自衛隊、しかも最強の戦闘集団と言われるレンジャーに入隊したのである。
劣等感を抱いて、荒んでいた彼がそこまで思うようになったのは、祖父の影響もあったと思うが、それに加えて、“自分の存在感を自分で感じ、高めたい”という気持ちがあったのだろう。そうでなければ、荒んだままの人生を省みることは無かったはずだ。「国のために…」までの気持ちは抱けなかったと思うのである。
そんな大畑と話していて、伝わってきたのは「とことんまでやる」という強烈なまでの意識の強さだった。中途半端に投げ出せないのである。柔和な表情の裏から熱いエネルギーのようなものを感じた。「やる!」と決めたことは、徹底してやる。そこまでの意志の強さが陸上自衛隊のエリート部隊、アルペンレンジャーへの道に足を踏み出すことになったのだ。
禅道会横浜支部長の大畑慶高が本を執筆!
2020年11月19日に出版されます!
発行:白夜書房
四六判 192ページ
定価 1,500円+税
ISBN 9784864942904
陸上自衛隊レンジャー部隊に所属した経験と、禅道会で積み重ねた鍛錬と大会の実績、そして会社経営者としての見地から、昨日の自分より強くなる方法を解説した本です。