今回、紹介するのは禅道会の宗宮保さん(以下、敬称略)である。彼は1974年6月生まれの埼玉県出身。今から15年前に禅道会・小金井市の支部に入門し、今や新海外統括委員長まで担おうとしている。そんな宗宮の武道人生を語ってもらった。
格闘技にしろ、武道にしろ、少年期から「人よりも強くなりたい」と思って始めるのが通常のケースだ。だが、宗宮の場合は違った。中学時代はソフトテニス部。それが高校入学時に物珍しさから、少林寺拳法部に見学に行った時に強引なまでの勧誘を受けて、断れずに入部することになったのである。
「先輩が親切で褒められて、乗せられてやっていました。そんなある日、乱取り(空手で言う組手)を直接打撃制のルールでやったところ、先輩にやられたい放題にやられてしまったんです。入部して間もないから、防御の技術もまともに修得していないのに…。そこで悔しいという気持ちがわいてきたのです。直接打撃制の乱取りは部活の先輩がフルコンタクト空手を学んでいて、当たり前のようにそのような稽古をしました。その中で意地悪な先輩がいて、乱取り度に痛めつけられ、何とか上達したいと思っていたのです。そのあたりからからですね、武道のやりがいと面白さを感じるようになったのは」
稽古で痛めつけられて、“やりがいと面白さ”を感じるとは、もともと、宗宮は武道向きの性格をしていたのであろう。やられると、ダメージもあるし、小手先のテクニックは通用しない。本気でやるしかないと思ったそうだ。以降、彼の気持ちは急速に武道へと向いていく。まずは高校二年の時に少林寺拳法をやりながら、剛柔流空手の道場に入門した。バイクで片道40分ぐらいかけて通っていたそうだ。しかし、一年半ぐらい経ったある日、全損事故に遭ってしまい、その道場には通えなくなったのである。その後、高校卒業後にフルコンタクト空手の道場に入門する。しかし、そこで稽古しているのは、やくざ者ばかり。肉体だけでなく、精神性をも高める武道のはずなのに、「これではいいのだろうか」と思ったと、宗宮は語る。結局、その道場は辞めて、友人の紹介で韓国古武道を学ぶようになった。その先生は強くて人間的にも素晴らしい方だったのだが、ここでもある問題が起きた。そこはとある宗教団体にも深い関係を持っており、その影響を道場生まで受ける羽目になってしまったのだ。それでも、宗宮の武道に対する探求心は薄れることはなかった。いろいろと調べたところ、調布市のある場所で首里手と御殿手の二つの沖縄古武道の稽古が行われていることを知ったのである。むろん、沖縄古武道とはいえ、流派が違うから稽古する内容も違う。しかし、空手の源流は沖縄にあることを知っていた宗宮は両方の道場に入門し、稽古をするようになったのである。
宮崎の胸中にはいつも“継続して続けられる武道・武術”をやりたいという思いがあった。しかし、中には実戦とは程遠いものや、稽古体系に首をかしげるような武道も多く、疑問に思うこともしばしばだったと言う。極限まで成長するとどうなるのか、まだ知らない世界があるのなら、それを探求していきたいと思っていたのである。その当時、彼は散打をはじめ、オープントーナメントで主催している総合格闘技の試合にも出場もしていた。そんな経験があるからこそ、武道でも武術でも護身術でも「実行性のあるものでなければ面白くない」と思っていたのだ。どこかにこれぞ!という武道はないか…調べていくうちに出会ったのが禅道会だった。入門したきっかけを次のように語ってくれた。
「禅道会は術理、稽古方法などが合理的なだけでなく武力としての実行力があること、一部の人だけが強くなったり、上達するのではなく、あらゆる立場の人にも一定の再現性があること、人間として成長する為に良い影響を得ることができる考えと内容や稽古体系があることを知りました。それらの全てがまさに、自分が求めていたものと一致したのです」
ここから、宗宮の第二の武道人生が始まったのだ。
禅道会は宗宮が入門した当時、長野県には本部はあったものの、東京・小金井市の支部は発足したばかりだった。したがって、本格的に学ぶこと、理解することが難しかったため、禅道会主催の試合に三か月おきに出て経験を積んでいたと言う。そうやって、他支部の先輩と交流深めること、小沢の技術講習会に参加することを心がけていたのである。ちなみに試合は帯別(級で別れていた)だったが、茶帯レベルの試合からは強い人が増え、禅道会の実行力の再現性をまさに自分の体で感じ始めるようになった。そして、その気持ちをさらに深めることができたのが全国大会で連覇を続けていた青木隆明氏(現在、長野支部)と試合をした時のこと。
「青木さんから動禅としての禅道会空手が体現している身体操作とその実行力を体で感じさせられました。とにかく、今まで試合してきた選手とはレベルが全然違っていたのです。通常、試合の場合は相手との圧力を感じて拮抗するシーンがありますよね。ところが青木さんはそれがないのです。間合いもつかめないし、こちらの打撃が当たっても暖簾に腕押しのような感覚。自分の攻撃意識が全てすり抜けるような感じで、フェイントもここぞという攻撃も活かせませんでした。その時に禅道会空手には“生涯かけて愉しみながら、上達できる再現性がある”と思ったのです。小沢先生は確かに凄い。しかし、小沢先生だけが凄かったのなら、そこまで思わなかったでしょう。しかし、そこに学ぶ高弟の方にも確実に伝えられていることを体感して、ショックに近いぐらいの感覚を覚えたのです。青木さんは20代前半であるにもかかわらず、そこまでの技量を持っていることにも驚きを感じました」
その時、宗宮は30代前半。禅道会の動禅と稽古体系の素晴らしさを身をもって、体感したのである。宗宮が禅道会で得たものも数多いと言う。それを彼の言葉を通して語ってもらおう。
「人間の心身の構造や機能について一定の認知を得て、武術に留まらない自身の能力を高度化する道筋を知り、様々な場面で力を発揮できるようになったことです。稽古や試合を通して自身と向き合い、自身を認める内観により自己肯定感も増し、力みが少なくなりました。同時に武道以外の様々な場面でも日々精進する習慣を得ることができました。武術格闘の能力についても才能以上に成長させていただいたように感じていますが、実力的には禅道会空手と名乗るには申し訳ない段階です。先生をはじめ先輩、仲間とともに日々の成長を愉しみながら実力を高めていきたいです」
「嘘や虚構が通じないのが本来の武道の世界ですが、世の中では武道や武術に様々なロマンのような夢を求めることがあり、私もその一人でした。現在も様々な武道や武術に興味はあります。禅道会空手を学び稽古することで、人間は人間という当たり前の現実と人間の構造や機能、性質を深く学ぶことができました。そして、相対的な強さと自身の武術の向上を人間本来の構造と機能に基づいて漸進性と持続性を得ることができました。それと、誰でも成果を得るプロセスが禅道会にはあることですね。三年程の稽古期間で相当の格闘能力や護身の力を獲得できると思います」
武道、特に空手の動きは間違えられて継承されていることが数多い。それは自分も空手をやってきたから分かるのだが、空手はあくまでも武道である。宗宮はそれを重視して、こう話す。
「現実に対処しうる武力を獲得しながらも相対的な闘争能力だけではなく、自分を認め、許しながら自己に打ち克つ習慣を獲得できる認知のプロセスが存在することが素晴らしいと考えています。自身に対する認知の変化は社会生活の様々な場面で自分らしくありながらも他者や環境との協調性を高めることに繋がります。それは現代社会を生きる方々の力になることだと考えています」
宗宮にとっての禅道会は、まさに日常に活かせる武道なのだ。
現在、宗宮は事業の経営者であると同時に、禅道会の新海外統括委員長を任されている。多忙な毎日と思うが、これからの抱負を語ってもらった。
「禅道会空手を共に学び、海外の方々に正しい武道文化を伝え、人生に大切な智慧を共有していきたいです。武道を通して心身を整え、自身の能力を発揮し、ご縁を大切にしながら家族や会社、仲間や社会など様々な立場で様々な人々に貢献していきたいと考えています」
これから成し遂げたいことは預けて頂いている事業の発展、禅道会空手の理論の保存、世界への発展、子どもたちの順調な成長を応援すること話す宗宮。胸中には、熱き想いが込められている。