前回に引き続いて、取り上げるのは禅道会・横浜支部の小枝保之。1972年3月生まれの52歳である。出身地は青森県弘前市。高校を卒業後、大学(夜間)進学と同時に、自動車の部品の卸をしている商事会社に就職する。この会社は夜間の大学にも通わせてくれる、寮もあるし、交通費も出してくれるというので就職したのだそうだ。会社と大学も近かったので、働きやすく学びやすい環境だった。学生時代には空手と縁がなく、小学校でやっていたのはサッカー、中学の三年間は剣道、高校はテニス部に入っていたと言う。また、雪国育ちということもあって、スキーを始めとするウィンタースポーツをやっていたそうだ。これは今でも続けている。いずれにしても、なんでもやりたがるタイプで興味を抱いたら、やってみようという気持ちになる性格なのである。
そんな小枝が禅道会に入門したのは、30歳になったばかりのことだった。仕事を転職した2年目だったらしい。
「この頃、プライベートでもいろいろな転換期でした。転職した会社がベンチャーのIT系企業で、多忙な職場。土日も休みもなく会社に行っていました。この調子だと、他のことを無理にでもしないと、自分の人生が仕事だけになってしまう。そこで、何か新しいことをやろうと思ったんです。選んだのが空手でした。空手には伝統型と実戦型のものがあってどうせなら、実戦型の空手を学ぼうと思い、禅道会の見学に行きました。そこでお会いしたのが、当時、禅道会横浜道場長をやっていた大畑支部長でした」
小枝の話は続く。
「見学に行く前は上下関係の厳しいイメージを想定していましたが、それとは全然、違っていたんです。それが良くて入門したのですが、大畑支部長も若かったし、自分と年齢が近いこともあり、先輩・後輩の壁がそれほどないフランクな関係でした。もちろん、ちゃんとした礼節はあるのも良かったです。仲間にも恵まれていました。自分が入門する少し前に入られていた同世代の方が何人かいたのですが、その中に他流派の経験者もおられ、何かと声をかけていただいて、稽古か終わってから飲みに行ったりしていました。そんな居心地の良さもあって稽古を続けることができたと思います。また、現・指導員の鷲山亨さんもいて、親密にさせていただいていました。当時はK1やプライドが全盛期で、休みの日は誰かの家に集まって観戦するという楽しみもありました」
そんな小枝だが、仕事が多忙になって、稽古に行く頻度が減ったこともあった。一回、足が遠のくと行きづらいものだが、道場に行くと、「忙しかったんですね」と受け入れてくれるのも良かったらしい。休むことはあっても、稽古を続けていくうちに禅道会の空手界におけるポジショニングも理解できてきた。稽古自体はハードで、禅道会の黒帯は価値のあるものと思うようにもなった。とはいえ、当時の小枝はガチガチに目標を持つタイプではなかったらしい。そんなある日、道場長の大畑から「せっかく続けているんだから、黒帯を目指してみましょうよ」と言われたのがきっかけになった。さらに、その当時、横浜にいた浪崎師範代やルイス師範代という二人の実力者もいたので、やる以上は黒帯を取ろうと思うようになってきたのである。当時を振り返って、小枝は語る。
「一級までの昇級は比較的順調に進んだのですが、茶帯期間が長かったんです。茶帯になってからは試合もしばらくしていなかったのですが、2013年に開催されたRF武道空手道関東地区大会マスターズの部で優勝し、昇段することができました。入門7年目での昇段でした。この大会は昇段を果たす自分のために用意してくれたかのような大会だったので、気持ちを引き締めて出場しました。絶対に勝とうと思って試合に臨んだのもその時が初めてでした。それだけに昇段して黒帯を巻いた時は嬉しかったです」
前述したように、稽古はハードでも、「辞めたい」と思うことはなかったそうだ。特に30代の頃は肉体的にも若かったから、十分に乗り越えることができたのである。また、何度か怪我をすることがあってもそのタイミングで辞めようと思うこともなかったと言う。
ちなみに、禅道会では打撃の日、寝技の日、総合の日と分けて稽古が行われている。
「初めの頃は打撃の稽古日にだけ参加していました。素人感覚で、空手は打撃の武道と思っていたのです。ところが、初めて寝技の稽古に参加した時、何秒かおきに技を決められ対応のしようもなかったのです。全然、歯が立たなくて『もっと、やらなければだめだ』と思うと同時に、寝技の面白さも知ることができました。技が決まるポイントがあって、そこが分かった時、相手の動きを制御できるようになったのです。ちなみに、自分は身長が160㎝ないので、体格的に不利に思っていたのですが、『抑え込みが巧いですね』と指導員の方に言われたのが嬉しかったです。稽古を重ね、徐々に寝技におけるセオリーを学ぶことができました。こうしてはいけない、こうしていけばいいんだというのが体に身についてきたのですね。初めにあれだけハードだと思っていた寝技の稽古が長時間できるようになって、それが楽しくなりました」
そんな小枝に、印象に残る試合について訊ねてみた。
「グランド戦という寝技の試合に初めて出場した時のことです。トーナメント制で行われる試合で経験もなく、何も分からない状態で出場しました。第一試合は対戦した方も自分と同じような初心者でした。この時はたまたま、腰投げが決まって抑え込めて勝利できたのですが、二試合目は全然、動くことができず瞬殺されてしまいました。その日の夜に懇親会があったのですが、箸が持てないぐらい疲労していたことを覚えています」
ちなみに、昇段は2回目の挑戦で取得。1回目は敗退したそうだ。微妙な差で判定負けになったのである。道場長の大畑からも「もっと、勝つ気で行かないとダメですよ」と言われたそうだ。
ちなみに、道場長である大畑の存在は小枝にとって、大きいと語る。初心者の頃から現在に至るまで、その指導は毎回、自分の中に活かされているそうだ。
「大畑先生ご自身は一人稽古を大切にされている方でもあります。その姿を見て、自分もそうあるべきだと思わされました。また、しばらくして長野からルイス師範代がきて、指導に立たれることもありました。プロでも戦っておられる方なので、より実戦的なことを教わることができました。浪崎師範代は体系的な指導内容で、禅道会とはこういう空手だということを分かりやすい言葉を駆使しながら、指導に当たってくれました。いずれの師範代も指導員も面倒見がいい方ばかり。こちらが聞けなかったことまで掘り下げて指導していただくなど、参考になることばかりでした」
そのような指導を受けてきたからであろう。現在、横浜支部で指導員である小枝は、自分の経験を踏まえて門下生の指導にあたっている。
「自分の場合、輝かしい実績があるわけではありませんが、長く続けてきたので、禅道会の良さを知っています。だから、居心地の良さを感じてもらえるような稽古環境で門下生の方と接していきたいと思っています。空手という武道のイメージから敷居も高く感じられてしまうかもしれませんが、禅道会の場合、門下生同士の相手への信頼関係・絆は深いのです。技の修得も大切ですが、そのあたりの人間関係も築いてもらえれば、より深みのある稽古を楽しんでもらえると思っています」
禅道会という場で、人生の生きがいを実感している小枝。これからも生涯にわたって、空手を続けることが自分のテーマだそうだ。