小沢の学生時代の話は続く。喧嘩は大学内だけでなく、街中でも乱闘をするシーンを良くみかけた。その内容はヘッドロックで相手を投げてから、上から踏みつけるなど、格闘技の競技内における戦い方のパターンとはおおよそ違っていた。小沢自身も実際の戦いになった時は、首投げで浴びせ倒して、殴り、蹴るという喧嘩をしていた。あるいは袈裟固めにして反対の手で鼻を殴って、ダメージを与えてから倒れた相手を踏みつけるというのが必勝パターンであった。
喧嘩の場合はどうしても至近距離での取っ組み合いになることが多い。まして、空手の競技のようにお互いに胸を殴り合うこともない。さらに、競技では審判の「待て!」が入り、仕切り直しがあるが実際の喧嘩ではそうはならない。どちらかがギブアップするまで、続くのだ。
「だから、自分のような投げ技の経験のない人間がもっともできたのは、首投げでした。それと膝蹴りですね」小沢は当時を振り返って、そんなことを語った。
喧嘩になって、つかんだ際に膝蹴りをくらわせるから、相手の頭が下がる。それを集中的に殴ったりもしていた。「空手の技は喧嘩で使えなかったのですか」という問いかけに、「それがなかなか、できなかったんです。ローキックで蹴りまくるなど、空手の技で対抗する余裕なんてありませんでした。競技と違って、“よーい、どん!”で始まるわけじゃないから、そんな暇もありませんでした。顔面パンチが確実にヒットすることもきわめて少なかったです。自分の喧嘩だけでなく、他の者がやっている喧嘩もそうでした」
もう一つは屋外ではなく、室内で喧嘩でなる時、小沢は相手に対して、「のど輪」のような形で左手で押し込んでいって、壁に押さえつけて空いている方の右の拳で殴る。自分でもその戦いぶりは「格闘競技とは全然、違うな」と思ったと言う。
さらに、もっとも脅威に感じたのは、柔道、ラグビー、アメフトなどのパワーもあって、突進力のある者と対戦した時のこと。「空手で重視されていた間合いなんか、簡単に詰められて、“パンチで倒すなんて、そうは簡単にできない”と思いました。実際の喧嘩では先にもお話したように、レフリーも審判もいないから、喧嘩の流れはそのまま続きます。数々の実戦を体験する中で打撃のみの武道・格闘技の技の応用性に疑問を持つようになったんです」
こんなことを書くと、フルコンタクト空手が実戦では通用しないと思われるかもしれない。しかし、小沢は「自分の空手のレベルがそこまで出来ていなかったせいもありますが…」とも話した。
また、幾多の喧嘩をする小沢が単なる粗暴な人間だったと思われるかもしれないが、そうではない。引くに引けない戦いというのは、大抵の男なら、心に持っているはずだ。特に格闘技・武道をやっている者の多くがそんな心境の中で実戦の場を体験しているはずである。
小沢をはじめ、そういう格闘家、武道家たちは自分がやっている格闘技や武道へのプライドをもち、それをもって戦いに挑んでいたのだ。やみくもに喧嘩を売るのではなく、自分が体得してきた技の「試し合い」をしたかったのが本音であろう。世間の人から言えば、「それは単なる喧嘩屋じゃないか」と言われたら、反論のしようがないのだが…
しかし、このあたりの小沢の心境は自分自身もそうだったから、よく分かるし、共感できるのだ。自分が大切にしている人や自分自身が避けられない事態になった時、どうするか。それには、武力で対処することも格闘家・武道家たちに共通する意識と思うのである。
余談になるが、若き頃の自分もそんな実戦体験をしてきた。例えば、ある日のこと。知人の空手道場で「ちょっと、相手をしてくれ」と、スーパーセーフとオープンフィンガグローブで組手(顔面ありのフルコンタクトルール)をやってきた時のことだ。その時、最近、その道場に入門したというある男が見学していたのだが、組手が終わった時にこんなことを言いだした。「自分は古武術もやっているが、あなたたちの技と違って、実戦に通用する“殺し技”も稽古している」と。
暗に自分たちがやっている組手を批判してきたのである。最初は聞き流していた。しかし、その男は「競技のルールに縛られない武術こそが本物だ」と言ってきたのである。血気盛んな頃である。ここまで、揶揄されたからには我慢できない。「ならば、素手でやりますか」と挑発したら、自分以上にはらわたを煮えくり返していた知人が「それ、俺にやらせてください」と言った。そして、対峙した瞬間に上段の前蹴りを放った。これが見事に顎にヒットして、相手は昏倒した。
しばし、気を失っていたので「大丈夫かな」と覗き込んでいたら、意識を取り戻したその男は「今のは不意打ちじゃないか」と言ってきたのである。何を言うかと思った。実戦に不意打ちもなにもない。いきなり始まるのが喧嘩である。「なら、今度は俺が相手をしてやる」と向い合った。向い合うなり、下から相手の顎を殴った。これがまともに当たって、相手は再び昏倒した。口ほどにもない…知人と二人で言ったことを覚えている。しかし、その時のことを振り返っても、プライドをかけて避けられない事態に挑むことはある。それも小沢が言うような審判の声で始まる競技的な戦いではなかった。だから、幾多の実戦経験を積んだ小沢の胸中に共感するのである。
小沢が大学の授業でフルコンタクト空手の顔面へのパンチ禁止を補うためボクシング、そして柔道を学んでいたことは前回の記事にも書いたが、自身の稽古には相撲も取り入れた。組んで負けない力や身体の使い方を体得したかったのである。さらに拙かったものの、寝技や関節技も見よう見まねで練習するようになった。しかし、東海大学のトップアスリートたちの人並み外れた体格の良さと桁外れのパワーは依然として、小沢の胸に強い印象としてあった。
「だから、その頃はもっと、身体を大きくしなければならないという気持ちが強かったんです。先にもお話したように、ウエイトトレーニングには疑問を感じながらも懸命に取り組んでいました」
要するに小沢は「格闘技」というものを競技という目線でとらえるのではなく、実戦でも間違いなく通用するものとして、とらえるようになっていったのである。「自分の空手の技が未完成だったせいもありますが、“護身には有効”と思っていた打撃技が以上のような体験から心もとなくなったんですね」
小沢がそう思うようになったのは、背景に大学時代の喧嘩は腕に覚えのある者が多かったから、その腕にものを言わせて互いに本気で喧嘩しようとうケースが多かったのである。それは路上で見かけるような、チンピラが戦意のない者を一方的に殴るような状態ではなかった。あくまでも、タイマン、すなわち一対一の戦いであったのだ。そのうえに、である。戦意がなく、丸まってしまう者をKОするのは意外と難しいことも感じていた。ボクシングをやっていても本気で喧嘩をする時は不意打ちでもしなければ、簡単に倒せるものではないことを痛感させられたのだ。劇画や映画で観るような打撃技であっさり倒すようなことは極めて稀で、それは「アクションに過ぎないのではないか」としか思えなくなったのである。
この頃からである。格闘技をアレンジしないと、実際の喧嘩ではなかなか応用できないと小沢が考えるようになったのは…。このあたりから、現在の禅道会で行われている、総合格闘技に対する土台が出来上がっていったのである。