小沢の心に閃くかのように湧き出たその思い、それが現在の禅道会を作る最大のきっかけとなったのである。この話を聞いた時、以前、小沢と居酒屋で飲んでいた時の話を思い出した。
「マインドフルネスという言葉が最近、定着するようになってきました。それは『心を今、ここに集中させて、マインドワンダリングによる雑念を手放す』という手法ですが、実際のところは新しく導入された心理的手法ではなく、古くからある禅をはじめとする茶道や華道などの日本文化の中にあるんです。そこにベースとしてあるものが姿勢と呼吸法。例えば、座禅では、臍下丹田と腹式呼吸だけに集中して行います。武道の場合なら、基本稽古や移動稽古、型稽古にある同じ動作を繰り返す中で、臍下丹田と腹式呼吸に集中する動禅がありますが、それによって座っている時だけでなく、組手や試合をしている時でもゾーンという極めて集中した精神状態を作りやすくなります」
小沢の話を聞いて、「なるほど!」と感銘を受けたことを覚えている。格闘技や武道を長年にわたって修練している者たちは、肉体的強さのみならず、精神的な強さも求めるようになる。しかし、猛稽古をしてさえいれば、精神は強くなるかというと、それはまた、別問題ということも大概の者が認識しているのだ。その「別問題」の部分を小沢は稽古の中でも活かせるよう、体系化していったのだ。
小沢の話は続く。「座禅だけの場合は自己認知、つまり目標がありませんが、武道の稽古の場合だと、一つずつの動作や呼吸法を“上達という視点”でとらえられるようになります。スパーリングや試合の出来不出来を禅そのものにフィードバックして、『禅の精神状態そのものが上達しているか』どうかを確かめながらできるようになるんです。そして、その確かめる方法が護身性を追求する総合格闘技ルール(このルールが世間に普及する前の話)だったことにも認識を深めることができました」
時を同じくして、小沢は父母から相談を持ち込まれていた非行少年たちの心にある苦しみを見てきたが、それらの根本的な問題も潜在意識にあるのだと気付いたのである。それが禅道会という新しい武道を生み出すきっかけにもなっていった。
とはいえ、それまでの小沢は心理学を専門的に学んだわけではない。自分の体験による潜在意識による気付きや、それらの問いかけにアプローチする方法を稽古体系の中に組み入れていったのである。そして、門下生たちには今までより、“目に見える技術的な説明から見えない深い部分(精神状態の強化)まで”説明できるようになっていった。すると、門下生たちの方から「先生と同じようなことを言っている人たちがいますよ」と、心理学の本や大脳生理学のテレビ番組の話を持ち寄ってくれるようになった。それによって、小沢は自分に起きたことに対する客観的な理解も進んでいったのである。その時期に無意識という領域まで含めた稽古に対する考え方、捉え方が禅道会の稽古体系(前述した座禅と動禅を伴う稽古)になっていった。
やがて、1999年に禅道会が設立。門下生はすでに300名になっていた。一時期のピークを過ぎた当時を見れば、この門下生の数はかなりのものである。それだけ、小沢の指導体系は明確化され、門下生に認識を深められたと言えるだろう。小沢の話は続く。
「古来より呼吸法や姿勢は武道の中でもあったにもかかわらず、それが忘れ去られていたいですね。それよりは体力をつけ、コンビネーションで格闘能力を高めることの方が重要だと…。呼吸や姿勢などで技を練るのはまやかしごとで、それよりもフィジカルを鍛え、テクニックを学び、対人稽古で鍛えることの方が重視されていたのです。結果的に呼吸法や姿勢で技を修練すると言う伝統的な武道の稽古は置き去りにされていました。だから、自分も気付きがある前はその風潮にそって、ランニングをしてウエイトトレーニングをやり、組手をやり、『格闘性の追求=武道なんだ』という感覚を持って、稽古に取り組んでいました。それは自分のみならず、フルコンタクト空手全体にあったと思います。フィジカル重視が悪いというわけではありませんが、武道が見えなくなっていたんですね。武道とはなんだ?という抽象的な問いかけに対して、格闘性の追求というイメージが強すぎ、普及するあまり、武道の本質を探ることができなくなっていたと思います」
世間的なイメージでは、技の精鋭的な実戦性を目指す総合格闘技としての禅道会が生まれたと思われているが、理由はそこではなかったのである。「格闘技から武道に舵を切ろうとしただけ。かっこいい表現だが、無意識という大宇宙に船出をしようというのが禅道会設立の目的となったのです」と小沢は話してくれた。
その頃からである。門下生たちの中からグレイシー柔術(小沢は“クレイジー柔術”と聞き間違えていた)という名を聞くようになった。それが素手でなんでもありでやっていると聞いていたので、「クレイジーな柔術なんだろう」と聞き流していたそうだ。それを相当、後付けで某空手団体の全日本王者がグレイシー柔術と戦うという時になり、初めてその名前の勘違いを知ったと言う。小沢はそれぐらい外部に関心がなかった。あくまでも自身の武道の追求に意識が向いていたのがその理由である。ちなみに当時の総合格闘技はアルティメットという名称でやっていたが、実際にその“試し合いの競技化”をする面では参考になったそうだ。やがて、進取の気鋭に富んだ小沢はバーリトゥード実験マッチという名称で、いろいろな総合格闘技ルールでワンマッチを組み、競技ルールを模索するようになった。それには名のあるシューターや実績のある柔道家も参加してくれ、それによって禅道会の競技内容が安全性も含めて、試合うことの内容が洗練されていったのである。ここで誤解されたくないのだが、当時、グレイシー柔術が格闘技界の黒舟と言われていた時代だったので、それを追うように禅道会が設立されたと思われがちだが、あくまで競技化の参考にはなっていただけである。禅道会が目指すことはあくまでも武道性で、本当に武道で心が強くなれるかという追求の方が強かったのだ。
それと同時に小沢はこうも考えていた。「試合うことはそれのみではなく、日常の関係性、つまり人間関係の関わりも含めて、やっていくことなんだと思うようになったんです。人間は様々な巡り合わせがあるが、そこで起こりうる全てが試合うことなんだと。そこに一期一会という言葉がだぶって、感じられたんですね。現代人は生活文化の変化により、人と関わるのがだんだん下手になってしまっている。なら、武道においてはどうするか。人に関わるスキルが失われつつあるからこそ、真剣に人と関わる疑似体験として、武道の修練から組手、そして試合への出場によって、本気で人と関わるという練習をしていく。それがイコール武道性の追求になると思うようになりました。当然ながら、人間教育のこともその中に含まれていくので、『真の人間教育』、『社会貢献』という考えも芽生えたのです。したがって、禅道会もその流れの中で自然発生したようなものでした」
それらの流れはあくまでも小沢の心のイメージから生じてくるものであったのだ。一大決心のもとにこういう団体を起こそうとしたものでもなかった。そもそも小沢の中で大きな決心のもとで何かを成し遂げようということはなかった。客観的にはそう見られるかもしれないが、小沢自身の感覚としては、あくまでも自然発生したものであった。このような過程を経て、禅道会設立の運びとなっていったのである。