前回のトピックス記事から、ずいぶん、空いてしまった。申し訳ありません。
今回、書くのは今、自分が目指そう、目指したいと思っている武術について。
何度も書いてきたように、自分は長らく、打撃系武道・格闘技をやってきた。それを一時、辞めたのは今から五年ぐらい前になるだろうか。それでも、人間の習性・習慣というものは大きいもので、「体を動かし、鍛える」ことだけは続けていたのである。その後、氣空術という武術と出会い、これも五年間、みっちりやってきたのだが、諸事情で今は稽古を休んでいる。
さて、自分の経験から言って、「武道・武術は?」について。これについても何度か書いてきたが、いざという時に実際に使えるものでなければ、何の意味も果たさないと思っている。合気系柔術にあるような型稽古を否定するわけではないが、実戦となると、相手は思いもよらぬ攻撃を仕掛けてくる。そして、それらに直面した時のこちら側の心理状態も通常ではいられない。この心理状態が問題なのである。武道の有段者であろうが、格闘技の選手であろうが、実戦を経験しているのとそうでないのとでは、大きな心理の格差が生じる。
興和警備保障の西村社長が「格闘技のチャンピオンクラスでも実戦に慣れていないと、その技は思うように活かせない。逆にランキング入りしていない選手でも、実戦慣れしている者は強い」という話をされていたが、これはまさしくその通りなのである。
若き頃の話になるが、自分も実戦の場は何度となく体験してきた。少年期は体力も体格も無かったから、喧嘩になるのが怖かった。それでも性格的に「そういう場面から逃げる」ことの方がはるかに許せなかったから、強いと言われる相手にも立ち向かっていった。少年期の喧嘩だから、白黒決着がつくまでには至らなかった。大抵は誰かに止められるか、適当なところで「辞めにしよう」になっていたのである。しかし、そういう場面に遭遇する度に、「強くなりたい」という気持ちはさらに強くなっていった。自分の年代の人だと、誰もが同じだと思うが、ちょうどその当時、映画でブルースリー主演の「燃えよ、ドラゴン」が上映され、映画を観た自分は深い感銘を受けた。そしてそのほぼ同時期に劇画の「空手バカ一代」が連載されるようになった。
こうなったら、何としてでも空手を学んで、強くなりたい!そう思った自分は伝統派のある空手道場に入門した。映画と劇画が流行し始めた頃だから、先輩に言われたものである。「おまえも、映画に影響されて、入門してきたんだろう」と。確かにその通りなのだが、違う。強くなりたいとう気持ちはそれよりずっと前からあったのである。だから、入門してからというものの、毎日欠かさず、稽古に通った。しかし、それ以前は運動の「う」の字もしていなかった自分である。最初のうちは、やはり、体力がついていかなかった。若いにもかかわらず、腰痛にも悩まされたし、体の柔軟性もなかったから、高い蹴りは出せなかった。
「道場の稽古だけではダメだ」と一念発起した自分は、自主稽古も始めた。ロードワークと自重による筋トレである。それまで走るなんてこともしなかったから、初めのうちは1kmも走らないうちにばてた。拳立て伏せも20回やるのがやっとだった。それでも人間は鍛えていれば、それなりに効果が出てくるものである。やがて、持久走は学校でもトップクラスで走れるようになり、拳立て伏せは連続で100回は楽にこなせるようになった。むろん、道場の稽古も余裕でついていけるようになった。こういう自信は実力をも育む。通っていた空手道場は型メインの稽古で自由組手はめったに行われなかったが、もともとの入門の動機が「喧嘩に強くなりたい」である。組手になれば、普段、稽古している技もへったくれもなく、相手に挑んでいたものだ。しかし、その道場は寸止めが原則で当てることは禁止されていた。当てないようにと、意識すると、寸止めどころか、それよりもっと距離のあるところで打撃を止めざるをえない。「こんなので、本当に喧嘩が強くなれるのだろうか」と思ったものである。
だからこそ、巻き藁打ちは常に欠かさなかった。拳を鍛えて、当てることに慣れる。それをすることが空手の一撃必殺になると思い込んでいたのである。蹴りは前蹴りと足刀による横蹴りが中心だったが、これは道場につるしてあるサンドバッグで早めの時間に行って、蹴りまくっていた。巻き藁打ちをやっていると、ご存じのように拳ダコができる。杉板なら、三枚は割れるようになったし、瓦も重ねた状態で七枚は割れるようになった。
ちょうどこの頃から実戦も何度か経験した。血気盛んだったし、稽古の成果を喧嘩で試したかったのである。それでもしかし、実際に戦う時は恐怖感を拭い去ることはできなかった。特に街中の実戦となると、道場でやっているような間合いはない。接近戦になるから、思うようには打撃を放てないのである。たまに、一発いいのが当たって、倒せることはできたが、道場の稽古と街中の戦いとでは違うということを身をもって感じさせられたものである。
その前後から、道場の「実戦組手」にこだわる二人の先輩とフルコンタクト形式の組手を師範には内緒でしていた。先輩も街中での戦いを試していたのである。その体験を踏まえて、「こうきたら、こう対処する」などの接近攻防の稽古もした。三人で街中を歩き、いかにもやりそうな相手がくると、わざと喧嘩を吹っ掛けるようなこともした。今、思えば、厚顔の至りで愚かな極みだが、空手を実践に活かすことが自分たちの目的だったのである。
道場では型中心の稽古と書いたが、そんな心境だったから、型稽古は熱心にやらなかった。昇級・昇段審査があるから、仕方なくやっていたようなものだった。空手の型は沖縄から本土に伝わる際、大きく変わった(一度に多くの道場生に教えるため)のが事実なのだが、それでも現在の伝統派の空手のトップクラスの方のそれを見ると、武器術(特に杖)を用いての型の稽古に意味合いがあることを知るようになった。だから、改めて思う。単に型の稽古をやらせるのでは、空手の身体操作の本質はなかなか伝わらない。杖などを用いて、分解形式で学べば、型稽古の意味も目的もずいぶん変わると思うのだ。昨今はYouTubeなどの動画で、その稽古シーンや簡単な説明も観られるようになった。空手の稽古は徒手に始まり、武器術に応用され、そしてまた、徒手に戻るという話を聞いたこともある。自分は初段の審査を受ける前にキックボクシングのジムでデビュー前の練習生とスパーリングをやって、こてんぱんにやられ、以来、空手からキックへと転向したが、当時、通っていた空手道場が単に大会でポイントを取るための型稽古や組手稽古でなければ、もう少し、その奥義を学びたかったと今になって思っている。
キックを辞めて、合気系柔術をやったものの、やはり、長年やってきた打撃技には気持ちが残る。ちょうどその頃である。キック時代の教え子である大森くんという空手家から、禅道会の小沢代表の話を聞かされたのは。実際、小沢代表とお会いして、禅道会の話を聞くにつれ、再び、打撃系武道への関心が湧いた。禅道会は打撃のみならず、投げ技、組み技、寝技をもトータルに学ぶ総合武道である。新たに組み技や寝技まで学びたいとは思わないが、禅道会独自の打撃スタイルには強い関心を持っている。この話を書くと、長くなるので続きは次回へ。