全日本キックボクシング連盟からニュージャパンキックボクシング連盟が立ち上がり、理事長の趣旨に賛同する各ジムの会長が集った当時の話。
新しい団体でがんばってやっていこうというメンバーばかりだったが、世の常で人の心は変わる。特に組織となれば、いろいろな問題が持ち上がるものである。「これが卑しくも、格闘技やってきた人間のやることか」と思うこと、しばしばだった。その中で玉城会長だけは淡々と職務をこなしていたのである。年下の自分にも目をかけられ、興行開催面でもいろいろアドバイスをもらったものだ。
その当時、会長のことで興味があったことを質問したことがある。その昔は不倒王と呼ばれた人である。
現役時代の鮮明に記憶に残っているシーン。海外からの刺客、マーシャルアーツのベニーユキーデ選手と試合をして、後ろ蹴りをまともにレバーにくらったにもかかわらず、眉一つ動かさなかった玉城会長のタフさに脅威を覚えたからだ(同じ蹴りをくらって、悶絶KOされた選手もいるというのに)。
「あれ、効かなかったんですか?」と聞いたら、「効いていないと自分に言い聞かせていた」という答が返ってきた。
考えてもほしい。後ろ蹴りをまともにレバーにくらったら、どんなダメージがくるかを。それを効いていないと思うだけで、危ない場面を乗り切ってしまうのである。
むろん、常人離れした頑丈な身体でもあったのだろう。たまにいるのだ、そういう人が。打たれようが、蹴られようが効いた顔一つ見せずに、反撃してくるのがいる。こういうのと向い合ったら、攻める側も気持ちが次第に萎えてくる。自信の打撃が何一つ効かない、こいつ、どうすればいいんだ!と不安になり、気持ち負けしてしまうのだ。
玉城会長はそういう中のトップクラスのタフなファイターだった。同時に、「効いていない」と言い聞かせ、難局を乗り切れるだけの強靭な精神力も合わせ持った人だったと思う。そして、こういう精神力は格闘技以外の世界でも活かせるというのが自分の考え。
例えば、玉城が綾瀬で経営していたタイ料理店「オーエンジャイ」もそうである。タイ料理の店だけでもいいだろうに、店内にリングを作って、週一回はそこで試合を見せるのだ。ここでタイ料理を作っていたのは、ムエタイの選手たちであり、彼らはそのリングにも上がって、試合を披露していた。むろん、東京北西ジムの選手たちも出場する。他所のジムから出場する選手や練習生もいた。場馴れするには、もってこいの場だったのだろう。中にはデビュー前からタイ人とガチの試合をして、「あの経験があったから、デビュー戦は全然、緊張しなかった」と言う選手もいたぐらいだ。
後に「オーエンジャイ」の経営が傾きかけたことがあった。その時、会長はなんと、店の外に屋台を始めたのである。なんという、無茶苦茶な発想だと呆れ返ってしまったのだが、なんと、これが当たって再び、集客率も上がった。
「オーエンジャイ」には自分も行ったことがあるのだが、この時に忘れられない事態を目撃した。性質の悪い酔客が暴れ始めたのである。とっさに会長はその場に駆け付けた。手に手錠を持って…。「あれで殴るんだろうか」と見ていたら、殴りかかる酔客をきれいにかわしざま、何と、瞬時の早業で手錠をかけてしまったのだ!あれには本当に驚いた。あたかも合気道の型稽古を見るかのようだった。あまりにも見事な早業だったから、「何か武術もされていたんですか?」と聞いたところ、「慣れだよ、慣れ」ということもなげな返事。いずれにしても、何もかも型破りの人だったのである。豪傑とは、こういう人のことを言うのだろうなぁと改めて感心させられたものだ。
話はさかのぼる。全日本キックに黒舟の襲来があった。アメリカの打撃格闘技、マーシャルアーツである。
その中でもベニーユキーデ選手の実力はずば抜けていた。
最初の試合は確か、プロレスのアントニオ猪木選手の異種格闘技戦だったと思う。その前座に出たのがこのベニーユキーデ選手。ルックスは良いものの、眼光ひときわ鋭く、入場シーンからただならぬ気配を漂わせていたことを覚えている。
対戦相手は全日本キックの鈴木選手。ライト級のトップランカーで藤原選手には敗退したものの、高い前蹴りで対する相手を退けていた試合巧者だった。その鈴木選手がベニーユキーデの前に完敗したのである。
マシンガンのような豪快なパンチの連打で倒され、セコンドについていた藤原選手が怒りの表情でマットを叩きながら、叱咤激励していたシーンは戦慄させられるものがあった。「あの試合巧者の鈴木選手がこんなにもやられるとは…」そう思ったのは、自分だけではないだろう。全日本キックの関係者全員が同じ思いを抱いたはずだ。
ちなみにマーシャルアーツは知名度も低く、ベニーユキーデ選手が登場するまでは誰もその名前を知らなかった。
キックボクシングのようなトランクスではなく、パンタロンを着用するのが特徴で、試合時間は二分、インターバルは一分。蹴り技はキックのような回し蹴りより、空手の横蹴りが多用されていた。後ろ回し蹴りなども使われていたが、横蹴りが多用されるところを見ると、日本の伝統派の空手の影響が色濃かったと思う。パンチはそのまま、ボクシングのそれである。特にベニーユキーデ選手のパンチはそのまま、ボクシングの世界にも十分通用するだけのテクニックが光っていた。
キックのトップランカーが負けたとあっては、当然ながらキック界も黙ってはいられない。期間を置いて、次々に打倒ベニーユキーデの対戦相手が立ち向かっていった。がしかし、誰一人として勝利することはできなかった。
特に印象に残っているのは、二戦目に目白ジムの岡尾選手との試合である。岡尾選手はすでに試合からは遠ざかっていたものの、その格闘能力は高かった。一ラウンド初回にパンチでダウンを奪う。がしかし、ベニーユキーデは即座に立ち上がり、不敵な笑みで立ち向かった。そして、あれは何ラウンド目だったろう。強烈なパンチで岡尾選手がふらつくと、それこそ機銃掃射のようなパンチで襲いかかった。まさに滅多打ちである。
ベニーユキーデ強し!の印象はそれ以来、キック界でも強くなった。そして、自分もベニーユキーデ本人の姿を後楽園ホールで見たことがある。身長こそ低かったものの、その体格たるや、あたかもプレスラーのようであった。そして何よりも感じたのが格闘家としての強烈なオーラ。傍にいるだけでも、強烈な波動みたいなものが伝わってきた。強い選手はこれまでに何人も見てきたが、リングに上がる前から凄みのある雰囲気を漂わせていたのはベニーユキーデが初めてだった。
その時の対戦相手は大貫選手という、やはりライト級のトップランカー。多彩な技とテクニックが光る選手であったが、試合前から「やられるんじゃないか」という危惧があった。そして、ゴング。いつものごとく大貫選手は蹴りとパンチを巧みに使い分けて、立ち向かう。他のマーシャルアーツの選手はローキック対策が不十分で、この攻撃の前にことごとく敗退していったのだが、ベニーユキーデだけは違っていた。強烈なローキックが何発もヒットしても瞬き一つせず、攻撃していくのだ。対戦する側にしてみれば、こういう相手とするのが嫌なものだ。クリーンヒットしても効かない。いや、効いてはいるのだろうが、それをものともせずに反撃に転じていく。
この話の続きはまた次回へ。