石岡の試合の動画を観て、自分は彼女を“何があっても挫けない、気持ちの強いファイター”と思っていた。しかし、そんな石岡も一試合だけ、気持ちの面で負けたことがあったと言う。それはDEEP JEWELSの浅倉カンナとの試合だった。
「勝者がRIZINの出場権を獲得できる試合でした。そして、その時点では浅倉選手はまだキャリアも浅く、『石岡なら、勝てる』と思われていました」
有利の声があったにもかかわらず、石岡はネガティブな考えを抱いていた。「どうせ、世間は私なんかに勝ってほしいと思ってない。これから上り坂の選手に勝ってほしいに決まっている」そんなことを思っていたのである。この話を聞かされた時、いつも朗らかな石岡の発言とは思えなかった。その理由を訊ねたところ…
「試合前のことですが、SNSで『これからの女子格闘技界、若い子ががんばればいい』という投稿をいくつも見たのです。私へのアンチの声だったのですが、そこにとらわれて『みんな、カンナ選手を推しているんだ』と思ってしまったのです」
モチベーションが下がった石岡はいつも応援してくれる人の顔すら、思い浮かべられなくなった。試合前にそれではダメだということも分かっている。葛藤を抱えてはいても、「やるしかない。自分の力を出す」という覚悟でリングに上がった。しかし、最後に出るのは気持ちの部分だ。後半は防戦一方になり、結果は判定負けだった。当時を思い出して、彼女はこんなことを言った。「あの試合は許せません。過去に戻って、自分に喝を入れたい」格闘家だからこそ、メンタルでダメだったことが許せなかったのである。
ここで話は前後する。石岡は2012年に結婚した。その年の三月にWINDY智美選手の引退試合で勝利し、「これから、がんばってね!」という言葉をかけられていたのだが、その後に妊娠が分かった。彼女のすごいところは、安定期になってから練習をしていたことだ。その胸中はもちろん、現役続投である。
「おなかが大きくなって、子どもが産まれる前もできる練習はしていました。出産してからも半年ぐらいで練習再開しましたよ。でも、出産後の一時期、すごく痩せて、太れなくなったのです。産む前は55から56kgで減量して52 kgだったのが、出産後は47 kgから増えなくなってしまいました。出産前のベストウェイトではなかったにせよ、復帰戦は48 kgで禅道会の試合。『これならいける!』と手ごたえを感じました。周りからも試合を望んでくれる声があったのが嬉しかったですね。さすがに、母親からは『お母さんなんだから、もうやめなさい』と言われました。
ちなみに、出産するのに三日もかかったそうだ。ところが、分娩室に入ったら、20分ぐらいで産まれた。看護師から「安産、おめでとうございます」と言われたらしい。しかし、産む前の痛みが酷かった石岡にしてみれば、「安産なんかじゃない」という気持ちだった。赤ちゃんが産まれた時は嬉しかった?と訊ねたところ、「嬉しいより、疲れて寝たいという感じでした」という返事があった。このあたり、我々、男性には分からない母親ならではの体験なのだろう。
「子どもと一緒に寝るようになってから、泣き声が聞こえると不思議な感じがしました。それと、初めの頃は不安なことの方が多かったですね。かわいいというという思いはあったけれど、子育てのことでいろいろな不安がいつもありました」
そんなことがあっても、子どもはすくすくと成長した。お母さんが石岡である。さぞや、活発な少年なのだろうと思っただが、予想に反して折り紙を黙々とやるような大人しい子だと言う。三歳で英語を習いたいと言い出し、四歳から英語を始めた。小学校三年生になった今は英検を受けるそうで、漢字検定も受けたいと言っているらしい。
「外で遊ぶというアクティブな感じではないんです。幼少時からそうで、保育園に迎えに行って一人でポツンといると、大丈夫かなと思いました。英検や漢検の他は、eスポーツ(ビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技としてとらえるもの)に向いているようです。これがオリンピックに採用される可能性もあるらしいです。武道とは違っても、極めることをすれば、そんな舞台に出れる世の中。だから、一つの能力を活かしていってほしいですね。親としてそんなに心配しなくてもいいのかなと思っています」
ちなみに、禅道会に入ったのは二歳終わり頃から。初めのうちは泣くか寝ているかのどっちかだったらしい。やり始めたのが四歳ぐらいで、今も“空手はやらされている”感じだそうだ。
「最近、少しずつ変わってきているんです。『試合に出る?出ない?どうする?』と聞くと、出ると答えるので『だったら、もっと、練習しないとね』と言っています。空手を学ぶことがそれなりにあの子の人格形成になっていると思うので、強く生きていってほしいですね」
現在、禅道会長野支部で指導にあたる石岡。子どもたちを教える中でこんなことを思うそうだ。
「空手の練習を通して、成長するきっかけを得てもらえたらと思っています。タイミングは違うでしょうけれど、例えば帯の色が変わった、弟が入門したなどの体験で意識が変わります。その子その子で気づきは違いますが、やはり、試合で感じてもらうことが多いです。試合に向けて練習もハードになるし、勝つためにがんばるぞという気持ちになります。そして、試合が終われば、がんばったねと称賛されます。そんな体験を通して、子どもたちが成長する姿を見るのは指導者冥利に尽きますね。それから、空手をずっと続けてくれるのも嬉しいけれど、子どもたちなりに壁にぶつかることがあると思います。でも、それを乗り越えてもらい、『空手をやっていてよかった』と思われるような指導をしていきたいです。中学・高校になれば、クラブ活動があると思いますが、「空手の時の方がきつかったよ。あれがあるから、今はできる」と思ってほしいです。
「選手として活躍し、応援され、子どもの指導をし、人にも恵まれている」と語る石岡。幸せで充実した人生を送っているのだ。そんな彼女が体得したいと思うのは、力対力の戦いではなく、技術で対処できるようになること。技の精度にさらなる磨きをかけていきたいと話す。
「自分の体に負担をかけることなく、これからは武道の達人技の領域をめざしたいです。調子いいと、「まだまだ、いける」と思って無理なことをしてしまいますが…。道場の子どもたちと一緒に練習しながら、心身ともに自分を磨いて、子どもたちには「こうすれば、もっとできるようになるんだよ」と体で伝えたいと思っています」
石岡にとっての禅道会とは何か?との問いかけに、こんな答えが返ってきた。
「昔は自分を成長させてくれるところでした。今もそれはありますが、指導者になって、育てていく立場にもなりました。禅道会は自分を受け入れてくれた場所で、当時の私にとって、今の私にとっても大事な居場所です。だからこそ、入門されてくる方が『禅道会に入ってよかった』と思えるような、情の熱い指導者になりたいです。また、子どもたちの父母との意思疎通も心がけています。成長や変化を見た時の親御さんの喜びが嬉しいから、親と子どものつなぎ役になりたいですね。これからの目標は自分がやってきたことを伝え、残していくこと。自分一人で完結できればよかったのかもしれません。でも、次の世代に託していきたいというのも私の望み。思うことは多いのですが、指導者の育成もしたいです。自分が成し遂げられなかった禅道会からのチャンピオン誕生も実現したいと思っています」