相手は体軸を大きく崩し、潰され、投げられてしまう。その静かで不思議な時間は、高萩が「我」を意識するまで続いた。
「我」を意識してしまうと、今までどの様な攻撃が襲ってきていても前に出る事ができていたのだが、その瞬間(自意識を持ち出した途端)に後退してしまう。目先の攻撃が怖くて目が離せなくなるのだ。その時の様子を彼はこう語ってくれた。
「この不思議な自身の状態を説明するのに、一番ピタリとくるものがあります。それは宮本武蔵が五輪の書で述べた『観の目』なるものです。『眼の付け様は、大きに広く付けるなり。観見の二つあり、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、兵法の専なり。敵の太刀を知り、聊いささかも敵の太刀を見ずと云事、兵法の大事なり。工夫あるべし。此眼付、小さき兵法にも、大なる兵法にも同じ事なり。目の玉動かずして、両脇を見ること肝要なり』(宮本武蔵 五輪書水之巻 兵法の目付といふ事)
「少林寺拳法でも『八方目』と言う同様の技術が存在しています。私は今までも稽古の中で幾度か試した事はあったものの、未熟者の私には全く使いこなす事ができず、攻防戦においては役に立つ事はありませんでした。どんなに工夫を凝らしてみても…です。攻防戦においては相手の拳や蹴り足を凝視してなければ、反射神経の反応が遅れ、強烈な打撃を喰らってしまっていたのです。武蔵は「此書付を覚え、常住此眼付になりて、何事にも眼付のかはらざる処、能々吟味有べき」(同 宮本武蔵 五輪書水之巻 兵法の目付といふ事)と言うのですが、実際には、伊織(武蔵の養子)の様な稀代の天才のみに伝えようとしたのか、若しくは剣聖の境涯から書き下ろされた、所詮、誰人にも到達できない夢物語の境地なのではないかと失望しつつあるところでした。しかし、技術と心法の合気を学び、研鑽を続けていたからこそ、偶然にも奇蹟の現象を我が身に体現できてしまったのです。しかも括目すべきは、私だけではなく、その時、共に稽古をしていたS、Tも同様の世界を等しく体現したのです」
彼のアイキモードは自分自身も体験した。確かに、彼はそれができていた。渾身の一撃を放っても、手が触れたか触れないかで投げられ、崩されるのだ。合気がかかっている時、攻撃しているこちらはあたかもアクセルとブレーキを同時に踏んだかのような衝撃に見舞われる。それで飛ばされるのだが、ダメージはない。だが、攻撃しているこちらはとんでもなく消耗するのだ。ただし、アイキモードは常に定着するものではない。これは炭粉氏の合気関連書籍にも書いているが、あたかも消えかけの蛍光灯のごとく点いたり、消えたりするのだ。だが、高萩は「それでもいい」と言う。「一時は合気探求を諦めかけた自分ですから、それが出来つつある今が楽しい。修練を通して、合気の正体に迫っていきたいし、自分がやってきた武術にもそれを通せるようになりたいです」
高萩が探究し続けて来た「かけるべき合気」と「避けるべき合気」の謎の解明について、高萩の言葉から迫ることにする。
(そもそも合気の基となった柔術は剣技から派生した。合気柔術や合気道では、合気はかけるべき技そのものであるが、根源となった剣術では合気とは避けるべき状態を表すのである。この矛盾に高萩は注目したのだ)
「『観の目』と言うミッシングピースが顕れた事によって、これらの矛盾するロジックが初めて整合すると思います。実際の攻防戦に於いては、我々は常に相手の思考や動作に心が捕らわれてしまいます。視野は狭くなり、呼吸は浅くなる。恐怖故に相手から目を離す事も、心を解放する事も出来なくなる。所謂、固まった状態になってしまうのです。剣術の世界ではこのような膠着状態を「合気」と呼び、避けるべき状態であると教示してきました。対して、この状態から離脱する事ができれば、初めて真の自由を得、心身共に自在に動けるようになります。受けはどれ程意識して攻めこもうとも、こちら側に影響を及ぼす事はできません。逆に仕手側は、受けの身体に触れるだけで「かけるべき合気」が発動します。受けにしてみれば、触れられた箇所からは、護身に供する十分な情報が伝わってきません。仕手の不思議な状態に気が付いた時には、時既に遅く、バランスを立て直そうとしても、間に合わないのです。これこそ、かけるべき合気ではないかと…。この『観の目』の状態を得て初めて、かけるべき合気と避けるべき合気の矛盾が払拭されたのである。
高萩は続けて、こう語る。
「強くなるために、私は空手をやめました。自分の身を守るために、ルールとか、型とか、決められた動きから、自然にどうすればいいかを自分の体で直感的に分かることが大事だと思ったのです。フルコンタクト空手では、顔面攻防は無かったし、マーシャルアーツでは立ち技しか学べませんでした。合気系の武術では、西洋的な体の動きを否定して、型稽古ばかりになってしまう。なので、自分は何かに縛られて動く武術ではダメだと感じたのです。もちろん、武道・武術をされている方は心からリスペクトしています。実際に実戦武道・格闘技をされている方は本当に強いですから。しかし、自分に限っては、形に縛られるということが強くなるためには、邪魔だったんです。そういう意味で、あえて、空手という枠を捨てざるを得ませんでした。その理由は、若き頃に武器を持った人間に襲われたり、多人数に囲まれたりという喧嘩をしたこともあり、どんな場面でも戦略的に自在に動ける自分を作りたかったのです。そのために、自分の身を守るためにあらゆる有効的と思われる武術・格闘技(アーバンシラット、ジークンドー、ムエタイ、武器術など)を学び、自身の武術を磨き上げてきました。ところがある時、病気になってから思ったのは、『筋骨隆々で若い時しか、それを磨き続けることはできない』、そこに気付いたんですね。その時、こう思いました。『自分が目指している道は最強になることではなく、無敵になるということ』だと。敵を作らない、さらに言えば、自分に対する敵を味方にしてしまう。敵と心を開いて話し合えるまでの関係を作ってしまう。そのためには、単なる体を強くする、技を学ぶだけではダメだと思ったのです。それを実現する近道の一つとして、話術、つまり会話力も必要だと思ったのですが、それは心が伴わないと相手に見抜かれます。故に、相手に関心を持って、相手の存在そのものを尊敬する。つまり、『心』が一番大事だと思うようになりました」
さらに、そこには心理戦も必要であるから、心理学的アプローチも大切だし、戦略も必要になると高萩は言った。本来、武道・武術とは、そのような精神面での戦略も大いに活かされてきたものである。だからこそ、武術を学ぶ者はどんなに技量が優れようとも、精神的な強靭さが伴っていなければ、師から皆伝などの免許は与えられなかった。それだけ心、すなわち精神が重視されていたのである。これを現代社会に置き換えてみても、その必要性・重要性は分かってもらえるだろう。仕事や対人関係においては、あらゆる場面に遭遇する。仕事のミスで上司に怒鳴りつけられたり、同僚との仲が芳しくなかったり、あるいは友人との折り合いが悪かったりする時は、どんな人間でも平静ではいられないはずだ。だからこそ、そこで冷静になれるフレキシブルな思考や、対処する方法が大切になるのだ。