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昔と今の格闘技ジム・道場の違い①

昔と今の格闘技ジム・道場の違い

今の若い方には想像がつき難いだろうが、数十年前と今の格闘技ジムとでは、その指導内容が大きく様変わりしてきている。例えば、ボクシングジム。当時はどのジムでも「強い選手を育てたい!」というテーマがあり、そこに入会してくる人たちも「とにかく強くなりたい」あるいは「プロとしてデビューして、チャンピオンを目指したい」という思いを抱いている人たちが多かった。強さを目標とする男たちの集団だったのである。当然のことながら、ジムの雰囲気はどこも緊張感にあふれていた。雰囲気にも殺伐としたものもあった。

だから、入会してくる人たちはみな、それなりに肚をくくって入ってきたのである。リングのマットには、血がにじんでいて、汗とワセリンとグローブの匂いが漂っていた。そして、入会した当初はただ、基本のジャブをひたすら繰り返す。それができたら、ようやくワンツーを教えてもらい、フットワークを指導してもらえる。期間で言えば、だいたいどのジムでもそれが一か月ぐらいである。その単調な練習(格闘技でも武道でも基本を磨くには単調な練習が付き物なのだが)に嫌気がさして、辞めてしまう人も大勢いた。

昔と今の格闘技ジム・道場の違い

そしてその次の関門はスパーリングである。基本のパンチとある程度のディフェンスを身につけたら、ようやくトレーナーにミットを持って指導されるようになるのだが、このあたりでいきなり「スパーリングをやってみるか」と言われる。本人にしてみれば、それなりに技術も身についているのが身体で分かるから、望むところである。「ぜひ、やらせてください!」と意気揚々とヘッドギアと練習用の大きめのグローブを着けてリングに上がる。そこで相手をさせられるのが大抵、プロ経験のある選手である。ゴングの音と共に勢いよく飛び出していくのだが…

そこで殆どの人が辛酸を舐めさせられる。自分が習ってきたパンチは少しも当たらない。相手のパンチが見れず、成すすべなく殴られる。スパーリングで使われるグローブは16オンスの重く、大きなグローブである。リングに上がる前は「こんな大きなグローブなら、殴られたって、どうってことないだろう」と思っていたはずなのだが、実際は違う。グローブで殴られる衝撃は素手より、はるかにあるのだ。その衝撃力あるパンチを雨あられのごとく打たれると、大きなショックを受ける。気持ちが萎えるのだ。自分の両手はグローブの重さに耐えかねて、ガードが下がるから相手の思うつぼである。

顔面にそれを食らえば、ガ―ン!という嫌な衝撃が脳を揺さぶる。あるいは脇腹(自分の肝臓のあたり)にボディブローをまともに食らおうものなら、それこそ悶絶の苦しみを味わうことになる。大量の鼻血と共にマットに沈められた時の感覚はそれまでにないから、ここで大抵の人が「こんなに練習がきついなんて…」とやる気をなくしてしまう。自分の力の到底及ばないことをまさに、身体で痛感させられるのだ。これで、大半の入会者がジムを去ることになる。ジム側も「その程度で音を上げるようなら、辞めたっていい」というスタンスだったのである。

格闘技ジム道場

これはキックボクシングでも同じだ。第一次キックボクシングブームがあった当時、テレビで放映されているとはいえ、今よりはるかにマイナーな格闘技だった。テレビで活躍する選手に憧れを抱いて、「パンチだけでなく、蹴りも使えるなら、面白そうだ」とジムに入会する人も多かった。実際、当時は数少なかったキックボクシングのジムには入りきれないぐらいの入会者があり、練習生がいたのだ。

そして、ここでも初めの一か月、二ヵ月は単調な基本稽古の繰り返しである。今のようにトレーナーがついて、懇切丁寧な指導をしてくれるわけでもない。ただ、「これをやれ」と言われたことを黙々とやるだけだ。そしてある日、いきなり言われるのである。「スパーリング、やってみるか」と。練習をして、自分でもそれなりに強くなってきたと思う頃である。あるいは入会前から腕に覚えがあって、「好機来たれり!」とばかりに勢いよくリングに上がる。その結果はボクシングと同じだ。重いグローブで殴られることにショックを受け、さらにローキックで両足が動かなくなる。当時はローキックという蹴りがあることも、そのディフェンスも知られていなかった。だから、キックボクシングの初スパーではパンチでというより、ローキックのダメージで苦しみを味わうことになる。そしてボクシングのスパーリングと同じようにマットに這わされるのだ。このローキックのダメージたるや、経験した人でないと分からないが、数日にわたってそれが続く。歩くこともままならず、和式のトイレにしゃがみこむことすらできなくなるのだ。これで、「いち抜けた!」になる。

格闘技ジム道場

ひどい話だが、昔はそんなことが当たり前の世界だったのだ。倒されようが、叩きのめされようが辞めることなく、ひたすら練習に励む。そういう一部の生き残りの人間だけがトレーナーの指導を受けて、プロとしてデビューしていたのだ。それが「根性」だというのが当時のとらえられ方だった。それなくして、選手としてやっていけない世界だったのである。当然のごとく、ボクシングもキックボクシングもごく限られた一部の人たちだけがやれる格闘技だった。厳しい目に遭わされて、ジムから去った人は周りの人にも言ったことだろう。「あんなの、普通の人ができるもんじゃないよ」と。一人の話には尾ひれがついて噂になっていくから、さらに「やろう」という人が少なくなる。

それでもまだ、ボクシングが隆盛を誇っていたのは、キックボクシングよりはるかにメジャーであり、世界タイトルマッチがテレビでも放映され、「自分もがんばれば、あの世界に立つことができるのではないか」という期待感を持てたからだろう。さらに、テレビ放映のみならず、ボクシング専門誌も月に定期的に発行されていたから、ファン層もキックボクシングのそれではなかったのである。だから、辞める人が多くても、入会する人も後を断つことがなかった。世界をはじめ、日本のチャンピオンクラスの選手がいるジムはどんなに厳しく、単調なメニューを課せられたとしても続ける人は練習を諦めなかったのだ。

勢い、ジム側もそれが当たり前のものとして受け止めていたから、指導スタイルを変えることはなかった。厳しくするから、強くなる。トレーナーからは少しでも手を抜こうものなら、罵声が飛ぶ。場合によっては、鉄拳や竹刀が飛んでくることだってあった。それでも歯を食いしばって、練習をする。指導する側もされる側もそういう練習を通して、根性や精神力がつくと迷うことなく信じていたのだ。

ボクシング

現代では考えられない世界だが、このような風潮はおそらく戦前・戦中のスパルタ指導が影響されていたと思う。そしてそれは、プロ育成のジムのみならず、大学でも同じようなことが行われていた。四年生は神様で一年生は奴隷である。猛練習というより、しごきが日常のごとく行われていたのだ。そのような当時の部活動をしてきた年配の人は言うだろう。「あれを耐え抜いてきたからこそ、どんな厳しい目に遭っても堪えることができた」と。それはある一面においては正しいと思う。しかし、そのようなことだけをすることが果たして本当の技術力を上げることになっていたのか。本当にそれで精神力を磨くことができたのだろうか。今、肉体と精神の向上が科学的に判明されるにあたって、それだけではないことが一般にも知られるようになってきた。以上、固い話になってしまったけど、昔の格闘技ジムの状況はそんなことが当たり前だったというお話でした。この話の続きはまた次回へ。

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