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禅道会・宮沢正彦の武道人生②

禅道会に入門する

長野に戻った宮沢はその当時、禅道会の前身であったD塾に入門する。D塾は、以前から各所にポスターが貼ってあるのを目にしていた。その組手は素手に拳サポーター着用でスーパーセーフの顔面を殴る。打撃だけでなく、投げ技もあるので、「これは怖いな」と思っていたそうだ。その頃、宮沢は町民体育館で行われている和太鼓のサークルに通っていた。その建物の上に柔道場があり、空手の稽古が行われていたのである。長野支部の飯田支部・松川道場だった。

「そのエリアでは強豪と言われる道場でした。著名な選手もいたので、勝手にイメージをふくらませて、強くなるにはガチガチのスパーをしなければいけないのだろうと思っていました。後に『支部ごとに練習体系が違う』という話を小沢先生から聞いたのですが、初めの頃は厳しい稽古をするからこそ、強くなれると思い込んでいたのです。ところが、小沢先生が有段者に伝えている稽古法は今まで自分がやってきた内容と違っていました。激しい追い込み練習もないし、やるのはライトコンタクトのマススパー。全力で打ち合い、蹴り合いをやると、かえって筋肉を固めてしまうのでよくないというのが小沢先生の考えだったのです。それまでの自分は組手の最中に衝撃を感じながら、鍛えられていると思っていました。でも、小沢先生の指導はそうではありませんでした。あらゆる面で、今までの稽古観念を覆されたのが新鮮でしたね。さらに、道場がとてもアットホームだったのも驚きでした。武道の場にありがちな厳しい上下関係や外から来る者への排他的な対応は一切なく、オープンな雰囲気が良かったです」

試行錯誤ながらも、全日本大会マスターズ66kg部門で優勝

稽古をしていくにつれ、宮沢は動き方や目的をもって稽古する意味合いも理解できるようになった。 “この道場には強くなるための体系がある”と確信したのである。こういう風にしていけば強くなれる、上達できるという理論と指導内容が明確になっていたのだ。やがて、宮沢は大会にも出場する。がしかし、結果は芳しくなかった。「自分は全然、通用しない。何年、武道をやってきたのだろう」と思わされたのである。そんな宮沢に小沢がこんな話をしてくれた。「今やっている練習生たちはわずか一年半ぐらいのキャリアなのだ」と。当時を振り返りながら、彼はこんなことを語ってくれた。

「自分は試合を50戦ぐらいやっていたのに、この差はなんだと思いました。頭を抱えるような思いで、考えると、あることが判ってきたのです。試合の際、自分は足を使って、フットワークを使うタイプでした。つまり、重心が高かったのです。そこをつかまれて投げられて寝技に持ち込まれてしまうパターンが多かった。そこで、重心を意識した基本稽古と移動稽古を徹底的にやりました。足を使って、跳ねるように動く試合運びは、書き換えをしないといけないと思ったのです。他にも首相撲をしたり、相撲をしたり、寝技の稽古をするなど、少しずつ修正に努めました」

禅道会では、大会で優勝するか、ワンマッチトーメンで優勝するかで黒帯に昇段となっている。しかし、宮澤は後一歩という所で勝ち星をつかめなかった。指導においては、20代後半に少年部の道場を上伊那郡中川村で始めた後、39歳で黒帯を取得。その年2012年に開かれた全日本大会ではマスターズ66kg部門で優勝を果たし、全日本王者となった。当時を振り返って、こんなことを話してくれた。

「ようやくカタチになったなと思いました。大会に出場してくる選手には化け物のように強い人もいたので、勝利できたことが心から嬉しかったですね。その一方で、自分はまだまだという気持ちもあり、それが稽古に対する原動力になりました。続けていれば、いつか実を結ぶものがある、そう思いながら稽古を積んでいました」

ディヤーナ国際学園の職員として、青少年と向き合っていく

禅道会に魅了され、自らの稽古と少年部の指導にあたっていた宮沢だが、空手だけでは生活が成り立たない。しかし、師である小沢は内弟子たちが収入を得ることができ、独立できる体制を考えてくれていた。宮沢がやったのが保険のセールスである。三年たったら、保険代理店の独立研修生コースに入ることになっていたが、その頃から、ディヤーナを事業として立ち上げる動きが始まろうとしていた。

「当時、複数の道場で指導にあたっていたのですが、発達障害の子どももいました。そんな彼らとどうすればいい形で向き合い、良好なコミュニケーションがとれるかを小沢先生に相談していたのです。それがきっかけになったのでしょうね。やってみないかと誘われ、職員になったのが35歳の時でした」

ディヤーナ国際学園では引きこもり、不登校など、家庭内暴力など様々な問題を抱える子どもたちを学園で預かり、寮生活をしている。午前は禅道会の空手の稽古。午後はビデオ学習、畑作業、通信制高校のサポート校として勉強やレポート作成が行われる。武道と教育を融合させた禅道会ならではの試みだが、どのような体制で行われているのだろう。

「人数的には15~20人ぐらいの生徒に職員が4~6名で対応しています。子どもたちの心はどうなっているかを考察しながら一人ひとりの改善に取り組んでいます。自分としては親身に指導しているものの、『この子はどう思っているのだろう』と苦労することも多々あります。いずれにしても、寮が生活の場になるので本人へのケアが大切ですね。また、障害が重度・知的でなければ、家庭環境が原因になっていることも多いので、そのあたりの背景も考慮しながら自発的なコミュニケーションがとれるように準備しています。個性も様々なので工場で作業をするより、人と接する仕事の方が望ましいかなど、本人の成長を見いだせるような支援をするのが自分たちの仕事だと思います。学園を卒業してからも『こういう体験があったからこそ、今がある』と思われるような体験をさせていきたいですね」

ちなみに、通信制高校は添削指導(レポート)、面接指導(スクーリング)、単位認定試験の三つをやり切り単位を取得する。通信制の生徒は一律の授業を通して、進み具合を把握するわけではない。このあたりは環境も個性も一つでは区切れないのだ。だからこそ、職員は生徒個々の学習の理解度や状況に応じてサポートをしなければならない。子どもたち一人ひとりの人生の選択肢をともに話し合い、一緒に決めていくのだ。その一方で、大人数で学習を進める場所ではないからこその強みもある。宮沢曰く「卒業生が遊びに来たり、職場でがんばっている姿を見ると嬉しくなる」そうだ。このような話を聞いていると、ディヤーナ国際学園は武道を通して人間教育のエッセンスを体感的に学べるフリースクールとも思った。職員が教えるだけでなく、生徒たちと一緒になって自分とはなんだ、人生とはなんだなどを探って、学んでいく場になっているのだ。最後に、宮沢にこれからの目標・抱負を聞いてみた。

「一人ひとりのニーズに応えながら、その人なりの人生を歩んでいけるよう、関わっていきたいです。引きこもり、家庭内暴力、不登校、発達障害、精神障害など、日本の社会的な問題解決に武道家が文字通り体当たりでぶつかるという大きな社会貢献だと思います。禅道会の武道教育プログラムが彼らの心の救いになるのならば、一人でも多くの青少年たちに伝えていきたいですね。ここで出会った彼らが本当の自分自身を見つめ直し、新たな価値観を知り、人生の生きがいを感じてもらえるよう、力添えしたいと思っています」

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