六年間、勤務した自衛隊を去った、大畑が新たなステージを見出したのが禅道会の空手だった。これはすでに自衛隊時代から稽古をしていたのだが、一般部隊の先輩であり、空手の先輩でもある、今津陽一氏(以下、敬称略)が禅道会の松本支部長を担っていたのだ。その今津が道場で、子どもたちに空手の指導をしている光景が大畑の胸に光を灯したのである。
「これも富国強兵と思いまして…」
自衛隊時代の大畑は国を護る兵士として任務にあたってきた。しかし、日本の武道である空手を通して、子どもたちを育てることも将来の日本のためになると思ったのである。武道教育で日本に伝わる精神と体作りを子どもたちに向けて指導したいと考えたのだ。続けて、大畑はこんな話もしてくれた。
「それまでの自分は国のためという大義名分はあったものの、徹底して、強くなることを目指していました。日本一の兵士を目標に。でも、ある時、こんなことを思ったのです。『このままいったら、自分は単なる殺人マシーンじゃないか』と。戦場に出ることを覚悟して、相手を仕留めることを真剣に考え、訓練してきた私です。でも、年齢を重ねていって、例えば50代ぐらいになった時、自分に何が残るかと思ったのです。あるのは、殺人のための技術だけ。『そんな人間がいたら、周囲の人は誰も近寄ってこない』…そう思ったら、恐怖心がわいてきましてね。そのような気持ちに揺らいでいる時でしたから、余計に今津支部長が子どもたちに空手を教える姿が胸落ちしたと思います。国を護るという意識から、日本を支える未来の子どもたちを育てるという意識にシフトチェンジしたのです」
大畑の口からは、何度も“国のため、日本のため”という言葉が出てきた。その部分だけに耳を傾けると、右寄りの思想と思われるかもしれない。が、違うのだ。あくまでも大畑は日本という国を愛し、日本人であることを誇りに思っているのだ。彼は続けてこうも言った。
「武道教育は日本の文化教育だと思っています。ただ、小磯さん(ライターである自分のこと)なら、分かっていただけると思いますが、私は日本という国の素晴らしさを伝えていきたいのです。知れば知るほど、日本という国は素晴らしい。だから、その歴史や伝統、文化を将来を担う子どもたちに伝えたいと心から思ったのです」
大畑の考えに近いものがあるが、自分も日本人はもっと、自分が生まれた国を知り、誇りを抱いていいと思う。それには、日本に古くから継承されてきた文化への理解を深めることだ。難しく考えなくてもいい。日本の歴史を知れば、自分たちが生まれ、育ってきた日本という国への認識が深まるはずだ。すると、自然に愛国心が芽生えてくるのではないだろうか。混沌とした現代社会である。グローバル化が進む今日でもある。だからこそ、日本への認識を改めて深める。ビジネスでも学びの場でも、海外の人との交流の機会も多い。その時、自分たちの国を語れる知識はあってほしいし、愛する気持ちと誇れる意識をもってほしいのだ。そんな話を大畑としているうちに、彼の顔に満面の笑みが浮かんだ。
「ですよね。国際化が進む今だからこそ、私たちは日本を知り、外にも発信できるものがあって然るべきと思うのです。もう一つ、思うのは『和の教育』を推進すること。自衛隊の殺人兵器みたいな人間であった私が言うのもなんですが、これはぜひ、行いたいです。デジタル化も進み、特に現在のようにコロナ禍がある社会では、人と人の距離が開いてしまいます。オンラインもやむをえないし、それはそれで時代の流れとは思いますが、その根底には他者と関わり、協調することの大切さを知っていてほしいのですね。それがあるからこそ、人は人として成長できます。同時に、豊かな人生を歩むことにもつながると思っています」
以前、この記事にも書いたが、自衛隊時代、大畑は上官から「おまえには協調性がない」と再三、言われていた。協調を強調と勘違いした彼は「強調しています」と答え、呆れ返られたらしい。そんな、勘違いも大畑らしい、人間的な魅力と自分は思うのである。
武道を愛する、大畑が「武道の神様はこの人」と思う、歴史上の人物がいる。剣聖(けんせい)と呼ばれた上泉伊勢守だ。戦国武将としても活躍し、新陰流を開眼し、多くの弟子を育てた剣豪でもあった。高弟と共に諸国流浪の旅に出たと伝えられている。
「古流の柔術は剣術を元に作られたものと思います。相手を押さえ込んで、短刀で仕留める武術。日本刀を持って襲撃してくる敵に対抗する技術です。時代の流れとともに、武器の必要性は無くなりましたが、徒手空拳の技術は継承されています。その中で私が選んだのが禅道会の空手であったわけですが、空手も打つ、蹴るという打撃技だけではありませんでした。現代の型稽古にもその要素がありますが、投げる、関節を極めるという投げ技・組み技も空手の技術なのです。その全てを体得できるのが禅道会の空手と思っています」
山岡鉄舟 – 福井市立郷土歴史博物館所蔵品 https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3442071
武道をこよなく愛する大畑は、山岡鉄舟を尊敬しているそうだ。勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称され、武士(幕臣)であり、政治家であり、思想家でもある。そして、剣と禅と書の達人でもある偉人だった。かの戊辰戦争では、勝海舟の使者として西郷隆盛を説き、西郷・勝会談を実現させて江戸城の無血開城を導いた。その人間性は、西郷隆盛をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛された幕末の英雄である。剣術の稽古も怠らず、禅を組み、神仏祈願もする毎日を送っていたと言う。山岡鉄舟に少しでも近づきたいと思う大畑は、現役を退いた今も毎朝の稽古を続けている。同時に、禅も組み、呼吸法もする。
その大畑と初めて、話をした時、「私は自分で自分のことを武道家と思っていないのですよ」と言っていたが、その理由は「山岡鉄舟の域に達するのはまだまだ…言えるとしたら、武人の域でしょうね」と言うのだ。比較するのが山岡鉄舟では…と思うが、大畑にしてみれば、それが本心なのであろう。続けて、彼はこんな話をした。
「強さって、なんだろうと思うのです。それが自分にとって、永遠のテーマですね。最強の強さは『愛と死生観(生き様)』と思っています。人が人として強く、いかに幸せに人生を生き抜いていくか。そこですね。肉体的な面で言と、現役時代と比較すれば、落ちているものはあるでしょう。しかし、技術的な部分は自分で言うのもなんですが、選手の頃より良くなったと思います。現役の間はただひたすらに、チャンピオンになることを目指していました。しかし、一線を退いてから、精神面でもゆとりができたのか、“技”そのものをじっくり稽古するようになったのです。すると、力の抜き具合、軸を保つことをはじめ、一つひとつの技術を体で感じながら、反復練習をしたのです。それによって、空手という武道の奥深さを改めて認識しました。それができることで、門下生に対して、今まで以上に分かりやすい指導ができるようになりました。これが武道としての空手の良さでしょうね。空手をはじめ、日本の武道にはその素晴らしさがあります。地道な稽古を重ねることで、今までは気付かなかった新しい境地にアプローチすることができるのです」
空手家として、日々、研鑽する大畑。彼にとって“武の道”を歩む探求は生涯、続いていくのであろう。
禅道会横浜支部長の大畑慶高が本を執筆!
2020年11月19日に出版されます!
発行:白夜書房
四六判 192ページ
定価 1,500円+税
ISBN 9784864942904
陸上自衛隊レンジャー部隊に所属した経験と、禅道会で積み重ねた鍛錬と大会の実績、そして会社経営者としての見地から、昨日の自分より強くなる方法を解説した本です。