武道、武術とは護身の術であり、危険回避のための術でもあると思う。いざという時には、我が身を守り、自分の大切な人を守る術と思っている。
危険回避という面で言うなら、あえて、リスクある場面に向い合わないように心がけることも大切だ。いざという時には戦う。しかし、向い合うのは対人ばかりではない。
以前、自分の武道仲間である高萩さんが「それは事故や自然災害ということもありうる」と語っていたことをこの記事にも書いたが、その通りなのである。
諺にも「備えあれば憂いなし」とあるが、あらゆるシーンを考え、その対応策を考えるのも兵法だ。と、日頃から思っているのだが、「これは人としてやることじゃないだろう」と感じることがあった。それが何かと言うと、全世界に感染拡大しているコロナウイルスである。その影響で、今やどのドラッグストアに行っても、マスクが販売されていないのだ。
先日、自分の知り合いの子どもが風邪になり、「こちらは、マスクが売り切れになっている」という話を聞かされて、自分があらかじめ買っておいたマスクが残っていたので、それを送ることにした。ついでだから、もっと買って送ってやろうと、近辺のドラッグストアに行ったところ、どこへ行っても無いのである。マスク販売コーナーには、「ただいま、マスクは生産が追い付かず、販売中止となっています」と書かれてあった。なぜだろう?と思いつつ、家に帰り、通販なら買えないかと調べた時点で、その事情が分かった。通販では販売されていたのである。しかも、とんでもない高価格で。
販売しているのは、ショップではなく、個人であった。つまり、コロナウイルスが日本にも広がることを想定し、マスクの大量買い占めをしている者がいたのだ。それによって、一儲けを考えたのだろう。それを知って、何とも浅ましい…と心から思った。
むろん、マスク在庫切れはコロナウイルス感染を恐れた人が予防のため、いつもより多めに購入したケースも考えられる。それはそれでいい。しかし、買い占めをして、それを高額で販売するとは、どういう神経をしているのだろう。人として、道を外していないか!と思った。モラルも道徳心もないではないか。
コロナウイルスではなく、インフルエンザにかかって、それを自分の家族に感染させたくないからとマスクを求めている人だっているだろう。そういう、緊急に必要な人にマスクが届かないのだ。危険回避は大切。だが、自分だけ良ければそれでいい、それで一儲けしようなどという考え方は言語道断だと思うのである。
心から応援したくなるエピソードもある。それは、コロナウイルスの集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の話だ。
2月10日時点で乗客乗員3600名のうち、542名(2月19日時点での発表)もの感染者が確認されていると言う。豪華クルーズ船とはいえ、ずっと、隔離されているのである。高齢者やもともと、持病のある人には不安も募るであろうし、精神的苦痛以外のなにものでもないはずだ。広がる船内感染に政府の対応に国内外から批判の声が高まっているとメディアで報じられている。すでに、検査で感染の確認されなかった乗客約500名の下船が始まっているが、ここで一言、自分の意見を書いておきたい。
プリンセス・クルーズは乗船客について、クルーズの代金、航空券・新幹線・タクシー代金、クルーズ前後のホテル宿泊、寄港地観光ツアー、船内で利用したサービス、その他租税・手数料、港湾費用など全額を払い戻しすると発表している。また、下船日までに船上で発生した費用もすべて無償にすると発表した。さらに、乗客に対しては、できる限りのサービスが行われているとも耳にした。
自分の知人が以前、「ダイヤモンド・プリンセス」に乗ったことがあるのだが、彼曰く、そのサービスと客員への気遣いやもてなしは、一流ホテルのそれを上回ると語っていた。今回は乗員も感染の危機にさらされながら、日夜、懸命に業務にあたっているのである。客員からはキャプテンをはじめ、そんな乗員に感謝の声が挙がっているという声も一部のネットで読んだ。これぞ、プロフェッショナルの仕事ぶりと言えないだろうか。船内感染がこれ以上広がらず、早く事態が収まり、乗客全員が無事に下船できることを心から祈っている。
今までの話を受けて、ここで話を少し変える。
「一つ善いことをすれば、その善は自分のものとなる。一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。一日努力すれば、一日の効果が得られる。一年努力すれば、一年の効果がある」
この名言、ご存じの方もみえるだろう。明治維新の精神的指導者・理論者・倒幕論者として有名な吉田松陰の言葉である。ペリーが浦賀に来航した際に、師の佐久間象山と黒船を遠望から見て、西洋の先進文明に心を打たれた松陰は西洋文明を直接見たいと密航を企てるが失敗し、故郷・萩で一度入れられたら二度と出られないといわれた野山獄に収監される。教育者として名高い松陰だが、彼の教育者としての資質は、この獄中で花開いたと言う。囚人たちは当初、読書する松陰を見て、馬鹿にしたそうだ。それに対し、松陰は「ただ死を迎えるのと、死の瞬間まで成長し続けるのでは魂の重みが違う、いつか牢から出られれば、その時にできる最高のことをすればいい、今は牢の中で出来る最高のことをするまでだ」
時代が時代とはいえ、獄中の身の上で、よくぞ、そこまで思えたものである。そんな松陰に対して、囚人たちは次第に感化され、従うようになる。こうして松陰は獄中をなんと、学校に変えてしまったのだ。囚人たちはやがて模範囚になり、そこで長州藩主・毛利敬親は、囚人の半数を牢から自宅謹慎とした。獄中で松陰は孟子や孔子の講義を行っていたらしいが、その続きを自宅で行うと、評判を聞きつけた近所の青少年が集まり、ここでかの有名な「松下村塾」が始まる。この中から、後の総理大臣二名、国務大臣七名、大学の創立者二名が巣立っていったのである。そして、松陰が最も彼らに情熱を込めて伝えたこと、それは「志」を持つことの大切さだった。安政の大獄で処刑される直前に松陰は愛弟子の高杉晋作に手紙を出している。そこには「死は好むべきものではないが憎むべきものでもない、世の中には身は生きていても心は死んだのと同じ人がいる、反対に身は滅びても魂は生き続ける人もいる、死んで不朽のことが残せる見込みがあれば、いつ死んでもよい。生きて大業を成す見込みがあれば、どこまでも生きるべきだ」と、書いてあった。松陰の魂の叫びに応え、高杉晋作は僅か八十名で、幕府に恭順の姿勢をとる数千名の長州藩正規軍に立ち向かい、功山寺で挙兵。このクーデターが成功し、ここから幕末維新は一気に加速した。松陰はたくさんの名言を残しているが、自分が好きなのはこの言葉。
「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に成功なし、故に夢なき者に成功なし」。
何があっても諦めず、自分の情熱を燃やし続けながら、志を実現していくこと、それは現代社会においても必要なことだと思う。武術を探求する者の一人として、今回は吉田松陰にスポットを当てての記事とした。
※以上の記事は2月23日時点で書いたものである。ダイヤモンドクルーズ号から下船する乗客数の誤差はご容赦ください。