これまで、心と体、呼吸と動き、そして無心とゾーンに至る修行プロセスを見てきました。
しかし、武道修行の最も深い目的は、さらにその先にあります。
それは「己を超える」こと。
単なる強さや技術ではなく、自己という枠を超えた「生の力」そのものに至る。
これこそが、禅道会が追求する武道修行の究極のテーマです。
本章では、
について掘り下げていきます。
己を超えるとは、
を意味します。
それは、
恐怖に打ち勝つ
疲労を乗り越える
自分に対する甘えを断ち切る というレベルを超え、
さらに自我の枠組みそのものを超えて「自然」と一体となる 境地へと至ることです。
武道修行における究極の目的は、「己を超え、自然の一部として動くこと」なのです。
己を超える瞬間は、予告なく訪れます。
たとえば、
こうした瞬間、
「勝ちたい」「負けたくない」といった意識は消え
自分という存在そのものが溶け
動きが自然に流れ出します。
これが、「己を超えた瞬間」です。
そこには、達成感ではなく、ただ生きている純粋な感覚だけが存在します。
禅道会では、己を超える瞬間に至るために、意図的かつ段階的な修行体系を整えています。
まず座禅によって、
これにより、心の枠組みを緩め、自己中心的な意識から一歩離れる準備を整えます。
技を無意識で出せるレベルまで高めることで、頭で考えることなく、体と心が自然に反応する状態を作ります。
これにより、意図せず「己を超える動き」が生まれる素地が養われます。
プレッシャーの中で
疲労困憊の中で
恐怖や焦りと向き合いながら
呼吸を整え、意識を保つ訓練を繰り返します。
この極限状態の中で、ふと力が抜け、自然体で動ける瞬間が訪れたとき
そこに、己を超える体験があります。
己を超えるためには、力で押し通すことでも気合いで突破することでもありません。
必要なのは、「手放すこと」です。
勝ちたい、負けたくないという執着を手放し、
これが己を超える道です。
「もっとこうでなければならない」という期待を捨て、
これにより、自然体の力が引き出されます。
恐れを無理に押し込めるのではなく、
これが、己を超えるための真の勇気です。
己を超えた瞬間、
そこには、
恐れも
迷いも
執着もない
ただ「生きている」という純粋な感覚だけが存在します。
この感覚こそが、
への扉なのです。
そしてこの体験は、武道の場面だけでなく、人生そのものを変える力を持っています。
項目 | 内容 |
---|---|
己を超えるとは | 自己中心的な意識を超え、自然体で動くこと |
己を超える瞬間 | 自我が消え、ただ動きだけが残る |
禅道会の修行法 | 座禅・基本稽古・実戦稽古による段階的な鍛錬 |
必要な心構え | 執着を手放し、今ここを生きる勇気 |
武道とは、
他者に勝つためだけではなく
己に勝ち、己を超えるための道
禅道会の武道修行は、この「自己超越」を目指して、今日も続けられています。
【次章に続く】
第10章:禅道会武道・座禅・脳科学の融合が創る未来〜21世紀の真の武道家像とは?〜