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禅道会・青木隆明の武道人生①

体を鍛えろという、親の意向で入門する

今回、紹介するのは禅道会・長野支部長の青木隆明氏(以下、敬称略)である。出身は長野県松本市。36歳。武道三昧の人生だったかと思いきや、運動よりも絵を描いたり、プラモデルを作ったりするのが好きな少年だったらしい。

「絵が得意で、好きでした。左利きで習字を習わされていたけれど、こちらは苦手でしたね。幼少期は体が弱かったので、強くするために一年生から六年生までスイミングスクールに通っていました」

体が弱いというのは、体力的に弱いのではなく、血小板減少症という病気だったのだ。通常より血小板の数値が低く、出血すると、止血しなかったらしい。幸いなことに本人にその自覚症状はなく、小学校五年生ぐらいから良くなったそうだ。

「病気のせいではありませんが、活発ではなく、大人しい少年時代でした」と青木。それでもアニメのキャプテン翼が好きで、スポーツ選手に対する憧れはあった。その影響もあったのだろう。田んぼの中でサッカーをやったりして遊ぶこともあったらしい。そんな青木が空手を始めたのが11歳である。早い時から始めたと思い、その理由を訊ねたところ、こんな答えが返ってきた。

「母の叔父が禅道会の前団体の黒帯の指導員だったのです。ですから、自分の意思で入門したわけではありません。体を鍛えろという親の言葉で嫌々やらされていたのです。だから、週一のお習い事という感じでした。その気持ちが少しずつ変わってきたのは、中学生の頃。当時のプライドや舟木選手の試合を観て、『こんなに強い人がいるんだ』と思ったのです。自分がやっている武道は、こういうものなのだと改めて感じさせられました。同時に伝統派の空手とは全然、違うということを知りました。そのあたりからですね。一生懸命やれば、強くなれるという希望がわいてきたのです。そこで、中学生から少年部とは別に大人の稽古にも参加しました。少年部とは違い、みんな強かったです。組手をやっても歯が立たない。やられてばかりでした。苦手意識もあって、寝技の稽古が嫌いでした。組手はその日によって、寝技のみ、打撃のみという稽古で時にトータルな組手が行われていましたが、自分はそこまでいきませんでした。いずれにしても大人が相手なので手加減はしてくれたものの、歯が立たない。それでも、『こういう練習をしていれば、いつか自分も強くなれる』と思っていました。一緒に稽古している人も現役で活躍する有名な選手が大勢いて、活気がありました」

 

いつかは強くなれると思いながら、稽古に取り組む

前向きな姿勢で取り組んでいた青木はその稽古とは別に週一回、体育館で行われる稽古にも参加するようになった。当時の逸話だが、そこに大畑支部長が指導に来た時のこと。組手をやった際、床に投げつけられて背中が痛くて、動けなくなったらしい。「実戦だったら、こういうこともあるから」と言われたのが印象に残っているそうだ。武道・格闘技の稽古に怪我はつきものだが、関節技の練習をしていて、腕十字でじん帯が伸びしてしまい、通院することもあった。ここで辞めるケースはいくらでもある。しかし、青木は痛い目に遭いながらも、投げ出さなかった。こういう経験をしていればいつかは強くなれると思いながら稽古に励んでいたのである。試合は小学校の六年生の時に出場したのが初めて。一回戦は勝ったが、準決勝で黒帯が出てきて、体も大きくて何もできずに負けてしまったらしい。当時を振り返って、こんなことを語ってくれた。

「負けて悔しかったのですが、それよりも殴り合いが怖かったです。それまで喧嘩をしたこともなかったので、殴られる恐怖感がありました。禅道会になってからは内部での試合も多くなりました。そして、中学二年生の時に優勝したのですが、試合内容が芳しくなかったのです。審査のかかった試合でしたが、打撃を一切使わず、投げと抑え込みだけで勝ったので黒帯になれなかったのです。がっかりしたものの、叔父からも激励されて三年生の時に再審査の試合で優勝して、黒帯になれました」
当時の審査は厳しかったらしい。少年部の黒帯は三人ぐらいしかいなかったと言うから、子どもながらに誇らしく思ったのではないだろうか。めげることなく、がんばった実が結んだのだから。

 

禅道会本部の内弟子となり、空手三昧の生活を送る

中学生時代の青木は空手をやってはいるものの、強気な性格になるわけではなかった。自身で振り返ると、気弱な子どもだったと言う。 勉強面でもみんなの前で英語を喋るのが恥ずかしくて苦手だったらしい。五教科の中では社会が得意で、中でも歴史が好きだったそうだ。その後、高校に進学した青木だが、ここでも空手三昧の青春時代だった。部活に入ることもなく、道場での稽古は週六日だから、ほぼ毎日である。「遊ぶことはなかったのですか?」と聞くと、下校時に帰宅部の友だちと一緒に遊びながら帰っていたとのこと。それだけ、彼は空手が好きで稽古に夢中になっていたのである。また、組手スタイルについて訊ねてみたところ…

「現役時代はライト級で体重が70.3kg。身長は179cm。パワーのある選手ではありませんでした。初めの頃は重心も高かったのでしょうね。高校時代、一般部の人たちと稽古すると、いつも投げられていました。でも、手足が長いから、下から締め技をとったり、関節技をとるなどの反撃を展開していました。自分はサウスポーだったので、対する人はやりづらそうでした。その頃、ムエタイのビデオもよく観て研究していたので、左ミドルを多用していました。左を蹴ることで、相手の前進を封じてから右に回り込んで打撃をつなぐパターン。それが自分の得意な攻撃の流れでした」

空手三昧の青春時代は高校を卒業してからも続く。今津支部長の勧めで寮に入ったのである。本人曰く、「先に寮生活を送っていたルイス・アンドライ (現在、総本部所属) 選手が黒帯ではなかったが、とても強く、そんな彼の影響もあった」そうだ。

寮での生活は朝五時半に起床。掃除してから朝稽古で、ランニングや筋トレなどを中心に一時間半ぐらい。その後で朝食である。さらに、思うところあって、青木は途中から禅道会の内弟子になった。寮内に本部の事務所があり、日中はその事務業務である。

「一日、禅道会の寮での生活でした。練習する、仕事をする、食事をする、寝るという繰り返しでした。それが19歳から21歳までの三年間。夜は本部道場での稽古が週に四回。さらに、日曜日は強化練習がありました。ここでの内容は組み技中心のスパーリングで、競技に活かせる効率的な体の動かし方を徹底的に学びました」
その成果が大会での見事な戦績として残された。それがこちら。

全日本大会RF 2004~2006空手道選手権大会中量級 三連覇
全日本大会RF 2008空手道選手権大会中量級 優勝
全日本大会RF 2010~2012空手道選手権大会中量級 三連覇

ちなみに、2008年は10周年の大会だった。禅道会の記念となる大会である。「大会だからといって、意気込むようなことは特になかった」と語る青木だが、ここは一勝負をかけたいところだ。しかし、彼はその一年前にDEEPの大会で眼底骨折をした。この負傷のため、手術をして試合からも遠ざかっていたのである。
「これで勝てなかったら、引退しようと思っていました。その大会には弟(優樹)も参戦しており、準決勝で当たって勝利。決勝戦は先輩だった静岡支部長の熊谷選手と対戦して、勝ちました」

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